暑いですな。
ここ最近の私は、毎日アブラゼミの鳴き声を聞きながら、どんどん増えていくメダカとヌマエビ、そして2階ベランダに到達しそうな勢いのアサガオの世話をする生活をさせていただいております。
もうね、アイスのようにドロドロに溶けそうですよ、自分が。
六月にホームセンターで買ったホテイアオイも随分大きく立派になりました。
凄い成長力です(⑉●o●⑉)オォ~
いまは稚魚鉢の主のようです。
我が家のガスはプロパンでして、ボンベの横にドクダミがわんさか生えております。
それを数株引っこ抜いてメダカ鉢に挿しておいたら、所々に水中葉が出てきました𓈒𓏸𓐍 𓇢
ネットで調べたら、ドクダミは水草として育てることもできるらしいですね。
金魚鉢のドクダミはメダカ鉢よりも一足早く、伸びに伸びて水面から新たな葉っぱを出しています。
⬆の写真右上部の赤茶けた葉っぱが、引っこ抜いた時からあった地上タイプのドクダミ。
そしてウォーターコインの周囲にある小さな三角の葉っぱが水草タイプに変身したドクダミです。
こじんまりなハート型(๑♡ᴗ♡๑)
同じ茎から生えているのに、地上タイプと水草タイプの葉っぱが同時に見られるなんて、あら不思議。
同様に、稚魚鉢のドクダミの茎からも水中葉化した葉っぱが出てきています (*゚Д゚)オォォ...
楽しいので、このまま成長を見守って行きます✩°。⋆**(ू•ω•ू❁)**♪
見守ると言えば、1番っ子の受験です。
先日、親子揃って志望校に願書を提出しに行ってきました。
1番っ子は緊張しつつも、自分のカバンから書類が入った封筒を出して先生に手渡していました。
ニッコリ受けとってくれる先生。
その後面接の日時等の案内をして頂きました。
いよいよ来月は、受験です。
願書は誰が書く?
私が高校受験をした時は、親に願書を書いてもらったような・・・。
もうウン十年も昔の話なので定かではありませんが。
先日の夏休み前の面談で支援級担任の先生が「面接の練習、しましょう!あと願書も学校で書く練習をしますね(ง •̀_•́)งヤルキマンマン!!」と言ってくれて。。。
あれ??
願書って自分で書くものだったの??
そんな疑問をなんとなく抱いていたところに、先生ってば新型コロナに罹患。
無念・・・( >д<)、;´.・ ィクシッ。
そのまま数日で夏休み直行&バケーションモード突入にイエーイ٩(ˊᗜˋ*)و♪な、のんき人間の1番っ子でした。
先生、そろそろ元気になったかな?
罹患前に、何枚か練習として願書をコピーした用紙を1番っ子に渡して書かせてくれていて、できた分は持ち帰って来ていたので 、それを見ながら夜に本番書きをさせてみました。
保護者氏名や住所、連絡先は私が書きましたが、それ以外はほぼほぼ1番っ子本人が記入。
練習用をほとんど見ずにスラスラ書いてる! スゲっ ฅ(º ロ º ฅ)オォッ!!
「汚くない」とお世辞にも言えないような字ですが、緊張したのかちょっと震えた形跡もあり、いい味出しています。
「高校で頑張りたいこと」「心配していること」という項目もあり、自分の言葉で書いていました。
「趣味」の欄には「ゲーム、ユーチューブ」と・・・。
イマドキ~~~(*>∀<)ノ♪
まぁ、飾らない素直なところが1番っ子らしいです。
「特技」の欄には「空手」と書いていました。
全然強くないんですけどね。
でもその欄に自分で記入できるものがあるって何気に凄いことじゃないかな?
私は未だに自分の特技が分からないです、ハイ。
「メダカとミナミヌマエビの繁殖」とか?
勝手に増えていく一方で、コントロールできていませんが ( ̄▽ ̄;)ハハッ
「ドクダミの水中葉化」って書けるようになりたいですが、書いたところでほとんどの人に「ハァ?( •́ㅿ•̀ )」って顔されそう。
とことん地味だわ。
まとめ
この間まで小学生だったのに、早いものですね。
まだ赤ちゃんや幼児だった頃の姿もしっかりと思い出せるのになー。
あと三年ちょっとで成人だなんて。
あと数年したらなんらかの形で就労し、社会人になるのです。
自分で履歴書を書くことも当然あるでしょう。
願書を書くのも後々にとって良き経験となりそうですね φ(..)カキカキ
そう考えたら面接も同じ。
今後色々な節目節目ですることになるわけで。
担任の先生との練習はできなかったけど、YouTubeで「高校 面接」とかを検索して観るように勧めてみようかな。
会話をしない私と練習なんて無茶だろうから。
一度だけさりげなく「母さんと面接の練習するの、恥ずかしいでしょ?」と尋ねたら、頭を上下に振っていたし(*꒪꒫꒪)( ._.)コクコク
きっと夏休み特権の夜更かしでもしながら、コッソリ見るんでしょう (*´﹀`*)フフッ
面倒くさいことでも下手なことでも苦手なことでも、先ずは出来ることは自分でやる。
これはとっても大事やなこと。
そして上手くできなかったり困っていたら、「助けてほしい」と相手に伝わる自己主張をし、助けてもらうことは重要ポイント。
そして同様に自分も誰かを助ける、「お互い様」の気持ちを持つことも必要です。
結果はどうあれ、これを目標にずっと頑張ってきたつもりです。
自分の足で立ち、社会に出て、その足で歩んで行くには絶対に身につけなければならないものでしょうから。
これは技術や能力ではなく、「気持ち」の成長があってこそ。
大きくなってから出来るようになるのではなく、幼いうちから少しずつ積み重ねて育むものです。
1番っ子はあと少しで義務教育を終えようとしています。
心理的自立の思春期真っ只中になり、そろそろ私の「気持ちを育てる=親の仕事」という考えは卒業しなければなりません。
能力・技術はこれからも頑張ってどんどん身につけていくでしょうが、気持ちの面は「成長」から「いまあるものを維持していく」にシフトしていくことになるでしょう。
少々心配ですが、これからは急拡大していく社会生活の中で、これまで以上に実用的な能力・技術の習得ができるよう「陰ながら支えるターン」になっていきそうです。
これからもお互いにお互い様な気持ちを持ちながら、良きターンな日常を送ることが出来ますように・・・ ( 'ω' و(و ♪ ( 'ω' و(و ♪