こんにちは。
だいぶ前の話になるんですが、去年家族で1番っ子の中学卒業後進路探しの為に、とある技能連携校の文化祭に行ってきました。
色々な学校の催しに見学に行きたかったのですが、候補校の中でコロナ禍の文化祭外部参加を受け入れてくれていたのは一校のみ。
ガーン(´^`)↓↓
私の考えとしては、進学先の決定は1番っ子自身にしてほしいと考えています。
軽度とはいえ、生まれ持っての知的障害と自閉症がある為に選択肢は限られますが。
受け入れてくれそうな学校はかなり限られており、保護者でも情報収集が難しい現実。
どのような選択肢があるかは私が知っている限りを提示しました。
提示した学校には、集団説明会に一緒に行って、個別の説明会とか見学会にも一緒に行って、行事にも一緒に行ってみて・・・。
とにかく進学する本人が実際に見て、聞いて、肌で感じないと!
しかも一・二年生のうちに!!
なぜなら「私立行きたい」とか言われたら初夏には出願始まってる学校とかもあるから、見学&希望校絞りは二年生末には終わらせておかないといけないのだ!!!
と意気込んでいましたが、コロナの影響で説明会も見学会も行事の外部参加も限られたりNGだったり、それ自体がもう中止!諦めて!!・・・の踏んだり蹴ったりな二年間でした(ーー;)
おのれコロナめ〜ヽ(`Д(`Д(`Д(`Д´)Д´)Д´)Д´)ノ
気合を入れていたのでガッカリ感半端ない感じでしたが、折角の機会です。
こんなご時世でも家族みんなで行くことをOKしてくれた学校があることに感謝してじっくり見学させてもらおう!と気持ちを取り直しアゲアゲ。
公共交通機関を乗り継ぎ、駅横の繁華街を通り抜け、向かいましたよ、技能連携校!
乗り物&美味しそうな匂いが大好きな2番っ子は大喜びです。
「毎日コレに乗れるの!?毎日ここを歩けるの?!よっしゃー!!2番っ子はこの学校に決めた ☆(≧∀≦*)ノ ヤッタネ」
と到着前からハイテンションで中学卒業後進路を決定してしまいました。
君は付き添いなんだけど Σヽ(゚∀゚;)マダハヤイッ!!w
と、小四にツッコミを入れ、そんな様子を横目で黙って眺めている1番っ子。
私たち親子はもう何年もまともに会話をしていません。
1番っ子はいつ頃からか親とは話さなくなってしまいました。
お友達や先生とは普通に話しているらしいです。
普段の様子から信じ難いのですが、先生がそう言ってました(´・∀・`)ヘー
私たちとコミュニケーションを取りたくないわけはないようです。
普段は筆談やジェスチャー、スマホの文字入力で意思表示をしてくれます。
場面緘黙症かな?
親相手に?
水島(2012)によれば、思春期は「役割の変化」の時期であり、子どもは保護者に従属する立場から独立した大人へと変化していく。それは親にとっても「関係性の変化」、わが子の「異物化」を意味し、衝撃として体験されるという。
思春期以降は、一方で親として子どもへの保護は必要であるが、親も一人の人間としての生き方を示し、親子であっても個人と個人として尊重しあい会話する関係が求められる。
という思春期特有の関係性の変化かもしれないし。
最初はさすがに戸惑いもしましたが、最近では「親と話さない自分」をこだわり化したようにも見えます。
もう私たちとは会話したり、それで笑い合うことはないのかもしれません。
マイダーリンは父として受け入れられないようですが、私は・・・。
別にいっか〜という感じです。
嫌だからキライだから話さないとかならちょっとショックだけど、そうでもないみたいだし。
1番っ子なりのコミュニケーション方法で関わりを持とうとしているし。
会話はなくても普段から笑ってふざけ合っているし、休日は一緒にお出掛けしてるし、毎晩一緒にご飯食べてるし、お手伝いとして家事はしてくれるし。。。
一緒に暮らしていく上で大して困らないです。
最近は1番っ子が片足で床をパタパタ叩いたり、手を上下左右に振ったりするだけで何が言いたいか分かるようになってきちゃいました。
さっきも「自分はマヨネーズ派」という主張(?)を手の動きだけで読み取りました。
横にいたマイダーリンは全っ然分からなかったみたいです(´^∀^`)笑
この技能連携校は以前の記事にも書きました。
理由があって心が疲れているお子さんや障がいを持つお子さんを受け入れていることを、先生に丁寧に説明していただいた学校です。
別日の平日午前中に授業の見学にも行きました。
もちろん1番っ子と一緒に。
先生が横について、「どういう学校か」「どんな子が通っているか」「どんな授業をしているか」を説明会よりもじっくり教えてくれたし、見させてくれました。
明らかに何らかの障がいを持っていそうな雰囲気の生徒さんが複数いるけど、そういう子もそうじゃない子も授業中であるにも拘わらずみんな和気あいあいとしていて賑やかで、とても楽しそうでした。
先生は私だけでなく、私がいると話さない1番っ子にも笑顔でたくさん話しかけてくれました。
反応が薄いわ、返事はしないわ、表情は戸惑っているわなのに、「そんなこと全然気にしないよ!」とばかりに。
最初は私がいる手前、声を出せずどう対応していいかわからない様子でしたがフレンドリーに話してくれる先生に次第に笑顔を見せるようになっていました。
あれから数か月。
今度は文化祭です。
ワンフロアしかない狭いスペースにたくさんのお客さんが来ていました。
生徒さんも役割分担をして一生懸命働いていました。
この学校は見学の時も感じましたが、とにかくみんな生き生きとしているんです。
彼らもさることながら、先生たちの普段の努力が伝わってきました。
早速2番っ子はお父さんとボーリングやダーツに参加して商品の駄菓子をゲット。
ワーイ(((o(*゚▽゚*)o)))(´∀`∩)↑age↑と楽しそうです。
当の1番っ子は、呼子の生徒さんにどう対応していいか分からない様子。
そんな状態をよそに、私は一人で自分の興味あるブースに行ってしまいました。
だってそばについて各ブースに参加するように励ましたり促したりしたら絶対ウザがるし。
思春期ってやつ?
「みんな同じフロアにいるし、私は私で楽しんでいるから取り合えずなんか見ときなよ~」と言ってお花飾りを作るブースに行って可愛いアイテムを作っていました。
いやー、係のお兄さんの説明の上手いこと上手いこと( °◊° )ホォ
1番っ子はその後も一人ポツーンと突っ立って、取り敢えず掲示物を眺めています。
居心地悪いのかな?
もう帰りたくなってるかも。
そこへ一人の先生がやって来て声をかけてくれました。
最初の説明会の時にお話をした先生です。
生徒さんの掲示物をひとつひとつ指さして何やら説明してくれています。
それを聞いて頷いたり、返事をしたり。。。距離を取っていたのでどんな話しをしているかは聞こえませんでしたが、1番っ子がある絵を指さして「これがいいかな」と答えていることが分かりました(多分。口の動きで)。
あぁ、こんな風に大人とも話すんだ。
本当に普通に返事できるんだね。
よかったよかった。。。
お楽しみ系の催し物が終わり、次は前方ステージにて生徒さんの発表会です。
私たちは席に座ってただそれを見るだけ。
暇かも?
かれこれ1時間以上このフロアにいるし、そろそろいいかな?
「帰る??あと発表を見るだけだし。もう飽きたでしょ?」
と1番っ子に声をかけましたが、フルフルと首を左右に振っています。
「まだ帰らない」とのこと。
そうなの?
まだ見ていたいの?
・・・・・・・・・(*´・д・)
・・・・・・・・・(*‘ㅁ‘ *)
コレハ、、、
1番っ子さんてば。
興味をもっている~~~~~~~~!!
その後の発表会はアットホームな雰囲気で、生徒さんや先生だけでなく卒業生も楽しそうに参加していました。
この仲間に入れたら素敵な学校生活が送れるかもなぁ。。。
中学卒業後の三年間は、きっと学生生活最後の三年間となるでしょう。
ここでその時間を過ごせたら、幸せかもしれない。
1番っ子はこれを見て、どんな風に感じたのでしょうか。
あれから月日が経ち新しい年度になり、1番っ子は受験生の仲間入りをしました。
もうすぐこの学校の願書受付が始まります。
どうすんのよ?
どの学校に願書出すのよ?
特別支援学校?
公立普通高校のインクルージブ系とかクリエイティブ系?
それとも私立の技能連携校?
どれも複数の候補があります。
自分で選んでいいよ。
お父さんとお母さんの願望とかではなく、君の希望でいいんだよ。
これまでも自分で選ぶことを大切にしてきました。
社会生活における自己選択・自己決定には、やる気を出して責任は自分でもつを大前提に行動する「自律性」と、他者を受け入れ時には妥協し助け合ったり誰かの負担や迷惑にならないように気をつける「相互性」が必須です。
それが無いのに「自分で決める」「思ったことはなんでも口にしていい」「やりたいことをやるのは当たり前」という感覚でもって行動されたら、周囲に半端ない負担や迷惑を掛けることになります。
結局、時間をかけて社会から受け入れられない人物像を作り上げていくだけ。
しかし「自律性」「相互性」が備わっている範囲での自己選択・自己決定ならば、大いに実践してほしいのです。
上手くいかないこともあるでしょうが、それも経験。
その反省も自分自身で糧に変えられるはず。
また「高校中退」と「進路を自分で考えて決めたか」はそれなりの関係があるようです。
生徒側についても,高等学校で学ぶことの意義,入学する学校の教育方針や特色等についての十分な理解がなく,目的意識や学習意欲が不十分,あるいは基礎的な学力が身に付いていないまま高等学校に入学して授業についていけない,などで中途退学するケースがある。
家庭の教育力の低下から基本的な生活習慣が身についておらず,学校生活に適応できないなどの理由で中途退学するなどのケースもある。
今回高校調査からも、進路選択段階でのコミュニケーション不足、情報不足が指摘されている。コミュニケーション不足としては、親や教師とよく話し合わず、言われるままに入学したことでの無気力感があり、自分を主体として目的意識を形成できていないことが中退につながること、また他の選択肢がないというネガティブな指導を受けてよくわからず入学した場合も、高校生活に積極的になれないことなどが高校側から指摘された。
https://coconi.or.jp/wp-content/uploads/2022/01/kodomo-tanimura.pdfより引用
中学校卒業後の人生は、自己選択・自己決定の繰り返しです。
「嫌なら辞めてもいい」
生徒にそう発言する高校の先生もいるでしょう(私の時代は普通にいました)。
でも誰かがその後の人生を保証してくれるわけではありません。
生き方を守ってもらえるわけでもありません。
自己選択・自己決定のその後にあるのは「自分でなんとかする」です。
自分の判断による行動の結果、自分が困らないように、周囲に尻拭いをさせない為に、その後も自分で歩み進んで行けるように、「自律性」「相互性」を培い、社会生活のなかで「自分一人で普通にできる」を増やしていく必要があるのです。
これができてこそ「自己実現」が可能になるのです。
これまで看護師として病院や施設、訪問業務にも携わってきましたが、職場によっては高齢の方々中心の看護も当然ありました。
今でも印象に残っている人たちがいます。
自分に重なるのか、「知的障がいを持つ人とその親」。
もう自宅に帰れる状態ではないお母さんに毎晩「早く帰ってきて」とベッドサイドで泣いて、お母さんに「苦しくても頑張るのよ」と頭を撫でられていたお兄さん。
病院にやって来る時間・方法にこだわりがあり、いますぐタクシーに乗れば間に合うのにそれを選択できず、お母さんの最期に間に合えなかった行き場のない辛さをスタッフに暴力という形でぶつけてきたお兄さん。
狭い団地の中で掃除や片付け、ゴミ出しも上手くできず、腐った食べ物や複数同じものを買い込んでごちゃごちゃになったゴキブリだらけの部屋で寝たきりのお母さんを介護していたおじさん。
割れた窓ガラスをガムテープで補修した家に住み、認知症になり飲んだり食べたりする意欲もなくなったお母さんの宅配弁当の残飯を食べて生活し、当然お母さんは脱水・栄養失調で様子がおかしくなり、でも救急への連絡を自分ではできず福祉事業所の人に電話して119番してもらったおじさん。
このお母さんたちは、過去に自分の子どもの将来がこんな風になるなんて望んでなかったはず。
彼らにも福祉は介入していましたが、あくまでも生活できる「最低限」です。
そしてかなりぼやかし端折りましたが、これは氷山の一角にも塵にもならない事例。
私は、私の子たちには、安らかで幸せな将来を自分の力で享受させてやりたいです。
嬉しいことも辛いことも自分なりに受け止めて、できる範囲で、時には他者と分かちあったり助け合ったりしながら生活していけるようにしてやりたい。
何処にいようとも誰が相手だろうとも「できる範囲」が一般よりも狭い現実は、先天的な障がいを持っている以上いくら頑張っても変わりません。
「先天的な障がい」とは、時と場合によっては出来たり困難の具合が変わるのではなく、いつでもどこでも障がいによる困難は困難なままです。
特定の先生に教えてもらえば年相応の勉強をスラスラ解けるようになるわけでもないし、相手によってはペラペラ流暢にお喋りできるわけでもない。
支援者がいない場所なら、ちょっとした複雑な説明でも一度で理解して、「やるっきゃないか!」と気持ちを上げて一人でできるわけでもない。
大きなコミュニティのなかで周りの状況を見ながら大勢の人と協調して、スムーズに社会参加できるわけでもない。
特徴的なぎこちない笑顔がさわやかスマイルになるわけでもない。
こだわりが元々存在しないもののように、なんてことのないように当たり前のように他者優先で過ごせるわけでもない。
親が見ていない方が意外とできるとか、自信を持てば大丈夫とか、そういう問題じゃないのです。
生まれ持った、「先天的な障がい」とはそういうものです。
それでもそれを受け止めて、持って生まれてきた能力の分は存分に使いこなせるようにしてやりたい。
私たち親が居なくなっても、社会のなかで自分の力で、顔を上げて前を向いて立っていられるようにしてやりたい。
その為にも「自律性」と「相互性」は必要不可欠なのです。
先日、我が家の近所で桜祭りがありました٭❀*٭❀*
休日の地域の催し物ですが、毎年校長はじめ学校の先生方が何人かやって来ます。
今年はそのなかに、1番っ子の五年生の時の担任の先生がいました。
私は2番っ子と祭りに来ていたのですが、すかさずLINEで1番っ子に「ちょっと来て!○○先生がいる!!」と連絡しました。
数分後、安定の無言無表情1番っ子が現れました。
しかも寝起きです( ¯ω¯ )ᐝボー
安定の、やたらよく寝る中学生。。。
構わず先生の元に1番っ子を連れて行き、親子でご挨拶。
先生も「元気だった?大きくなったね!」と1番っ子の頭をポンポンして、笑顔で応じてくれました。
私がいるからか、1番っ子は話すことなく頷いたり頭をペコペコしてるだけでしたが
(。_。 (゚ㅂ゚ )(。_。(゚ㅂ゚ )
その後、自宅で「先生に会えてよかったね」と話しかけたら、私の目を見てフッと僅かに笑い返してくれて・・・( ͡° ͜ʖ ͡° )ソダネ
「大人は、自分が面倒を見た子の成長した姿を見れたら嬉しいもんだよ。
その子が幸せになっていたらもっともっと嬉しいんだよ」
幸せにならなければならないんだよ。
たくさんの人に支えられてきたのだから。
そうできるように育てる責任が、私にはあるのです。
本人はそんなことなんて「露知らず」でしょうけどねー( ˙𐃷˙)˙𐃷˙)˙𐃷˙)ヘーンダ。
さて、進路はどうするつもりなんだろう?
いつもと同様に、無言な1番っ子です。
でも、きっともう決まっているのでしょう。
どこを選んでもいいです。
あの子に任せよう、あの子なら大丈夫だと、私は思っています。
今日も読んでいただきありがとうございましたマジ( °Д° )/感(°Д° )/謝///