こんにちは!
いよいよ春!新年度!!ですね。
ついこの間の年度末では小中学校で離退任式があり、1番っ子・2番っ子各々で感謝とお別れをしてきたみたいです。
見送る側って切ないものですよね。
そしてあと少しでまた新しい学校生活が始まります。
子どもたちはあと残りわずかの春休みを味わうようにのんびりのんびり過しています。
_(:3ノ )__(:3ノ )_
さて、なんだかんだで今回は休暇中の学習について考えたいと思います。
というのも、春休みって他の長期休暇と違って明確な宿題がないんですよね。
子どもたちにとってはラッキー٩(*´ ꒳ `*)۶なんでしょうけど、ここは少しでも毎日やらせておくべきかと。
単純に「勉強って大事」ってことでもありますが、それよりも遥かに重要な意味を込めて「いつもやろう」とお互いに納得して取り組むことの重要性を今回は推したいと思います。
「やれば出来る&大人が決めたこと」に取り組める?
大前提として、最近の我が家では本人が「分からない・教えてもらわなければならない」ような問題集を長期休暇中に取り組むことはしません。
私たち親は共働きだし、1番っ子は中学生で結構教えるのも大変だし、その上で2番っ子の分までなんてさすがにキツい・・・という理由で、敢えて「自分で取り組める内容」の問題集を選んでいます。
休暇外では学校の宿題や課題に取り組んでおり、分からない問題は私が教えているので「大体どのくらいのレベルの学習なら出来るのか」は大まかにですが私も把握しています。
ちなみに
・四月から中3の1番っ子は、学校がある時期は日々学年の副教材に取り組んできたものの、数学・英語や社会はほぼ母が付きっきりでやる状態(大変 ゚Å゚)。付きっきりで教えて解いても理解しきれないからソッコーで忘れる(゜∀`;)。小3〜4年くらいまでの問題だったら大体一人でできるけど、5~6年レベルだと分からないものものある。横について教えてあげれば、その時は解けるけど、しばらくすると忘れるを繰り返す_| ̄|○。漢字や英単語の書き取りは毎日2~3ページくらいなら、いちいち促されなくても習慣化して自主的に取り組める。好きな歴史系の問題集は教科書を見ながらやれば半分くらいは解けることもある。数学・理科は苦手意識が強過ぎて自力で取り組むのは難しい。
・四月から5年生の2番っ子は、3年生レベルなら結構いいところまでできる。時々分からないところはあるけど、ソッコーで「分かりません」「教えてください」と先生に言うみたいに母に声をかけてくる(笑)し、横で教えれば解ける。1番っ子と同じく漢字の書き取り系は自主的に黙々とやる。音読はカタコトさはあるもののソコソコできる(´ε`)。時々漢字を読み違える。本人が好んで読む本は幼児向け絵本。算数は二桁以上のかけ算わり算に苦戦。理科社会の授業は好きだけど、4年生のテスト結果はよろしくないことも多かった。それでもお直しまで学校や自宅で前向きに取り組むことが出来る。授業には楽しんで参加しているものの細かい内容理解までは厳しくなってきた様子。
ということで、軽度知的障がい児でも(頑張れば)成人期には小学校卒業レベル程度の学力を身につけられるでしょうという言葉に「まあまあ、納得 ╮(´・ᴗ・` )╭」な現状です。
そんなこんなで私が問題集を選び、春休み中はそれに取り組むという話を持ちかけたところ、二人共ふたつ返事でOKしてくれました。
学習に限ったことではありませんが、自分で出来る作業を大人の促しに応じて取り組むことができるかどうかってとても大事なポイントです。
これはあくまでも「自分で出来る」ことなので「理解や技術的な能力」ではなく、気持ちである「ヤル気」を指します。
また「大人の促しに応じる」ということは「日常生活の中で大人に主導権や決定権を譲った上で行動出来る」を意味します。
「面倒くさくてヤだなー(´・д・`)」って感じることでも、「しゃーない。言われたからササッとやっちゃおう( ー́∀ー̀ )ヘイヘイ」と思って行動できるかどうか。
これが出来ると出来ないでは、後に待っている社会生活の中でかなり顕著な差が出ててきます。
「大人に主導権や決定権を譲ることができる」の効果
「主導権や決定権」というと、上下関係を表しているように感じることもあるでしょう。
しかしドッチガ上とかそんなことを教えようというわけではありません。
全くこれっぽっちも、そんなことは意図していません。
意図することはただ一つ。
上記の「面倒くさくてヤだなー(´・д・`)」って感じることでも→→「しゃーない」と気持ちを切り替え→→「ササッとやっちゃおう( ー́∀ー̀ )ヘイヘイ」と思って行動化できるです。
(しつこいようですが)
「面倒くさくてヤだなー(´・д・`)」という負の感情を自分の内に落とし込めて
「ササッとやっちゃおう( ー́∀ー̀ )ヘイヘイ」という気持ちに変換し行動する。
この時、本人のなかで何が起こっているかというと「感情のコントロール」なのです。
感情のコントロールは難しい=自分の気持ちは他人次第
ぜんぶが全部そうというわけではないでしょうが、これまで仕事上で「感情のコントロールが難しい」と相談を受けたお子さんの様子を数か月追うと、大体は
- やりたくないことはやらなくてもいい
- 大人が見ている前で大声で怒ったり泣いたり、その場から動かず不満を言い続けていれば自分の意思が通る
- (口達者で言葉によるコミュニケーションがかなり良好な場合でも)大人から「○○しよう」と提案されたら取り合えず「ヤダ」と即答してみる
という傾向が結構多く見られました。
その割には自分の身の回りの世話では大人に過剰に依存的というか、自分の荷物を持って移動するときもそばにいる大人が持ってくれるものと思っていたり、「それくらい自分でやりなよ」と言っても「え~、いいじゃん」とあやふやな返答をしてみたり。
大抵の「え~、いいじゃん」にはサラッと「なにがいいの?」と聞き返すと、どのお子さんもムッとした表情で「じゃあいい」と答え自分でするのですが。
「え~、(自分で出来ることでも自分がやりたくないと思ったら自分の代わりにあなたがやれば)いいじゃん」ってことなんですよね。
この場合、そこにいる誰かが何とかしてくれることが前提になっています。
いわゆる他力本願です。
このような場合、感情のコントロールも他力本願なケースが少なくありません。
余談ですが他力本願と言えば、以前の仕事ではたまに(というよりはもう少し多かったですが)保護者の方から
「○○活動は本人がやりたくないと言っているのでやらせないように伝えてください」
とか
「思い通りにならないと帰ってから家で荒れるので、うちの子の言うことはなるべく聞いてください」
「帰りたがらないときは帰そうとしないでほしい」(←!?!?誰が相手すると思っているの?職員さんも退勤時間になったら帰りたいんだよ!)
という要望電話を勤務終了間際に受けることがありました。
モウチョットデカエレルトオモッタノニナー。ヘイヘーイ。ワタシタチモコドモガイルオヤナノデハヤクカエリタイノヨー。
ちょっとしたことでも顕著にソッコーで
・怒る
・泣き喚く
・不満で動かなくなる
等の行動パターンが見られる場合
戸惑う感情を一旦グッと堪えてから(子どもだから表情や態度に出るのは当然ですが)助けてくれそうな大人に相談したり確認したり手伝ってもらいながら、自分なりに出来るだけ適切な行動をしてその後の対応を考える・・・
のではなく
「自分の負の気持ちを良い方向へ逸らすために他者が行動する」のを期待しながら感情爆発を意図的に行っているというパターンは珍しくありません。
というか、結構あります。
感情コントロールは、幼児期後期には「自分で行うもの」と徐々に促されるようになり、且つ子ども同士で友人関係を形成し、対等な関りを積み重ねることによって身につけていくものです。
しかし彼らの場合、学童期に入っても気を使ってくれそうな大人をそばに置き、「自分の感情のコントロールも他人がするもの」「良好な状態に保たせるもの」「だから自分のこの状態(怒ったり泣きわめいたり拒否して動こうとしない)をなんとかするように大人を動かさなきゃいけない」と認識しているようです。
それに直面した場合にこちらがすることと言えば、「気が済んだらおいで」と声をかけて見守れる範囲の距離を置くくらいです。
それだけ。
励ましたり叱ったり、気の持ちようを説くこともしません。
但し「感情爆発をしている自分に対応してくれる」と期待もさせません。
「この程度のことは(理解力・技術的に明らかに君なら出来るハズ)、自分自身のコントロールまでひと任せはやめましょう」「慣れてないからすぐには出来ないだろうけど、君のその感情爆発は時間がかかってでも自分で落とし前をつけましょう」と内心思っているだけ。
そんなに長時間は必要ありません。
注意を引き続けるために一生懸命アピールしてくるので、それを見ている側が耐えられるかどうか。
耐えるも何も(こっそり見守りながら)感情爆発をスルーして、他のことしていればいいだけなんですけどね。
これはABAの「消去」の対応に相当するものかと思います。
ときには「消去バースト」を起こすこともあります。
そうこうしている内についさっきまで大声でアレヤコレヤ言っていたのに表情も変わり、ソロリソロリとそばに来て
「何も言わないの?一生懸命励ましたり、これ頑張れば○○してあげるとか、▽▽はしなくていいとか・・・」
みたいなことを本人から言われたこともありました(正直過ぎネー^_^)。
ンなことはしないゾ。
時間と労力の無駄だし、他にするべき支援や予定をほったらかしてまでするこたぁないでしょ。
ってか、そんなこと期待してどーすんの。
何故そこまで期待するようになってしまったんだい。
もっと違う、のびのびと自分自身で考えて行動する、本来の君の理解力とか技術的な能力から経験できそうな、この先にある何気ない楽しみとか喜びとか、そういうものへの期待は何処に行ってしまったんだい?
感情のコントロールは難しい=主導権・決定権は自分持ち
子育て世代の通り道である「魔の二歳」「イヤイヤ期」。
裏道はない主要幹線通路です。
まだ赤ちゃんっぽい乳幼児期は、欲求や怒り、恐怖などを司る大脳辺縁系が著しく発達する反面、その興奮を抑制し感情をコントロールする前頭葉の機能は出来上がっていません。
その為思い通りにならないときに泣き喚いたり怒ったり騒いだりします。
脳自体が「そういうもの」なのです。
これはもう仕方ないです。
しかし段々前頭葉も大脳辺縁系の後を追うように成長し、遂にはその興奮をかなり抑制できるようになります。
3~4歳くらいは眠いと前頭葉の働きが弱くなったりしますが、それ以降はかなりしっかりしてきます。
お陰様で言葉によるコミュニケーションや友達関係の広がりによる成長も相まり「魔の二歳児」「悪魔の三歳児」と言われていたものが、その後は手のひら返しかのように「天使の四歳児」なんて表現されたりします。
しかし大脳辺縁系や前頭葉の発達には個人差があります。
知的障がいを持つお子さんは、特にこの通りには進まないものです。
全般的な知的水準の遅れから認知機能の遅れも生じていることがほとんどだから。
これも仕方がないことです。
しかし個人差がすべてではありません。
当然育った環境からも影響を受けます。
なので知的障がいを持つ学齢期以降のお子さんが、そうではないお子さんと同様に又はそれ以上に感情コントロールが出来たりするということは、十分にあり得ることです。
知的障がいにより状況の認知が詳細に出来なくても、些細なことには落ち着いてやり過ごせるお子さんは普通にいます。
思春期以降は、より顕著な差が見られるようになるでしょう。
これは「持って生まれた性格」だけでは説明出来ません。
親御さんをはじめとした周囲の方々が、何気ない日常の中でお子さんと共に歩んできた結果です。
先述した
・やりたくないことはやらなくてもいい
・大人が見ている前で大声で怒ったり泣いたり、その場から動かず不満を言い続けていれば自分の意思が通る
は求めらる行動をするかどうかの決定権は「自分」にある環境です。
本人をその気にさせるために一生懸命励ましたり「○○すれば▲してあげる」みたいな条件提示は、結局大人がお子さんの様子に振り回されて試行錯誤しているわけで、何度もすれば主導権を明け渡している様を常態化してしまいます。
自分でする!!
感情をコントロールする力もヤル気も前頭葉の働きにより生じるものです。
ひとの気遣いにより引き出してもらうものではなく、自分の内(脳みそ)から出てくるものです。
しかし決定権や主導権は自分が持っていて、尚且つ自分のコントロールはひと任せでいられる環境に身を置いていれば、そのお子さんは自分自身の感情をコントロールしたりヤル気を出したりする必要はなく、いくら普通に前頭葉が発達していたとしてもいざという時にそれを活用する術を身に着けることは出来ないでしょう。
なのでそのような環境が続けば、当然そのお子さんは学童期になろうが思春期になろうが青年期になろうが、どーでもいいことですぐキレたり騒いだりするし、やる気のない子はそのまま無気力でアーダコーダ言いながら大抵のことは誰かにやってもらいたい人間になります。
社会に出れば決定権や主導権を他のひとが握るのはよくあることです。
組織から見て「新人」「教えられる立場」なら必ずそうなるでしょう。
家族には通用していたことでも、赤の他人・組織には許容されません。
それに耐えられればまだいいですが、もしかしたら恐怖や不安に覆われて、自分の内に籠ってしまうかもしれません。
そうならない為にはどうすればよいのでしょうか?
前頭葉を鍛える?
前頭葉は大脳の一部ですが、記憶したり考えたり判断したり行動したり、感情をコントロールしたりする重要な働きを司っています。
まさに人間を社会的な存在にする為にあるような存在。
その為子どもの発達以外にも、社会人としてだったり老後の為に「前頭葉を鍛えよう!」という話題がよく上がります。
「前頭葉を鍛える」でネット検索すると様々なアプローチ方法がわんさか出てきます。
どれもお手軽に出来るものばかりです。
子供向けアプローチ
「鍛える」は、先に自分でヤル気を出さないと実行出来ないものです。
しかし子供の場合はそうもいきません。
そこでココでは「感情のコントロール」と同様に「ヤル気を出す」練習として捉えて下さい。
私が常々推しているのは
・家族で楽しくお出かけする体験♬︎♡
・日常的なのお手伝い✧٩(๑❛ᗨ❛๑)✧
・「これならできる!!」を前提にした日々の学習φ(>ω<*)
過去記事にも色々書いているので宜しければお目通し下さいませ(ㅅ˙ ˘ ˙ )...♪*゚
どれも主導権・決定権を保護者が持って促さないと大抵はやらないでしょう。
お出かけの時に感情のコントロールが難しい子が主導権・決定権を握っていたら、同伴する家族は振り回されて疲弊してしまいます。
なのであまりはりきり過ぎず、保護者が主導権・決定権を握れるボリュームのお出かけ場所から行きましょう(๑•̀ㅂ•́)و✧
みんなが楽しめることが大前提なので、必ずお子さんが好きなポイントを行程に入れて。
独断と偏見ですが、人混みゴミしていない県立公園とかオススメです。
駐車場もあるし、自然も多いので開放感たっぷりです。
以前は我が家もよく、ふわふわドームやローラー滑り台があったり園内バスが走る大きな公園に行ったものです( ¯꒳¯ )。。。スン懐
最初のお手伝いは、配膳とかテーブル拭きとかからなら抵抗も少なく簡単に出来るかもしれません。
本人の気が向いたときだけやるのではなく、日頃からやるのが当たり前くらいにできることが目標です。
なので取り組む為に保護者とお子さん両者の努力が必要になるものではなく、お子さんの能力から手軽にできるものを見定めて促しましょう。
ちなみにうちの子は何年も前からお手伝いを習慣化し、その流れで自分の身の回りの世話をするようにしました。
自分の分の朝食準備・毎食後の食器洗い・洗濯干しと取込み・テーブル拭きは必ずしています(+夕方のワンコの散歩 ฅU•ω•Uฅ)。
どれも完璧にキッチリ(๑°ㅁ°๑)‼ピカピカ✧ ✧ スゴ───(〃'艸'〃)───ィという訳ではなく、洗った皿に汚れが残っているとかは日常茶飯事ですが。ハハハ
まぁ、いいんです。
きちんと出来れば尚良しですが、目的はそれではないので。
自分の身の回りの世話が出来るようになれば、それ相応の自己責任感も自然と身につきます。
失敗や忘れ物、遅刻を親のせいなんかにはさせません。
ちなみに春休み中はトイレ掃除と米研ぎもしてもらっています。
共働き世帯なので正直助かっています、ハイ ┌(._.♡)┐アリガタヤー
でも毎回炊き上がった米はベチャッとしてます。 T^Tナゼ?
学習は、日々取り組むことが前提なので短時間で本人が自力で解けるものにします。
取り組むことへの抵抗感を少しでも和らげる為に。
今回我が家で準備したのはこちらです。
1番っ子は、実は小中学生のグループがワイワイ楽しそうに過ごしているストーリーものがお好みだったりします。
小説としては読めなけど短編ものなら結構いけます。
そこで、友達と一緒に謎を追って旅に出るというストーリーを読みつつ漢字問題に取り組めるこちらにしました。
鉄っ子の2番っ子はこちら!
三年生レベルなら科目問わず大抵は自力で解けるということで。
食いしん坊なので駅弁の問題への食いつきはすごかったです( ̄▽ ̄;)
駅弁の地図本を買ってあげれば愛読書にして、47都道府県全ての位置と主要駅を完璧に覚えそう・・・。
なんかいいのないかな?食べ物と電車の写真多めで。。。
二人とも「今日もやっときなよ」と一声かけると、手が空いた時間に自主的に取り組んでいます。
ポイント
①お子さんができる能力の範囲で促しましょう
我が家は中三になる1番っ子は小学生レベル、小五になる2番っ子は三年生レベルの問題集を扱っていますが、そもそも習慣化して前向きに取り組めることが素晴らしい!!くらいの気持ちですので無問題。
学力アップを狙っているわけではありません。
しかし学習に素直に取り組み考えようとする姿勢は、将来の進学や就労、新しい環境での生活に必ず役に立つはずです。
②お子さんの「好き」を大切に
主導権・決定権はこちらが持つにせよ、取り組むのはあちらです。
その為、主導権・決定権を少しずつでも前向きに大人に渡せるように、お子さんのやる気が出る傾向や好きなものは何かを把握する為のアンテナを張り巡らせます。
家族ではない赤の他人同士でも、こちらは全く興味が無いアニメとかゲームの話も、内心(意味わからん(゜д゜) ハァ?)って思っても数分耳を傾け、「へー、そうなんだねー」「それは楽しいねー」と共感的態度を示せば、リサーチしなくても更なる情報提供をしてくれます。
最近共感的態度のセリフが棒読みだったりテキトーに返事をしていたら、いつの間にか2番っ子と外食の約束が組まれていたりすることもありましたが(((;꒪ꈊ꒪;)))
③主導権・決定権は引っ張る力!!
最初の方でも述べましたが、「どちらが上」とかそういうものではありません。
「自分の思い通りにしたい・させたい」傾向が強いお子さんの気持ちを「この人についていこう!」という前向きな形に変えさせることが大事です。
なので立場を明確にするのではなく、お子さんの気持ちを引っ張る力を大人は発揮しなければなりません。
誰しも威張っていたり圧力をかけてくる人には、なるべく関わりたくないし避けたいものです。
それよりも「一緒にいて楽しくて、これからもワクワクさせてくれるひと」の方がいい決まっています。
引っ張る側は、お子さんに安心感と期待感を与えられる雰囲気を心がけてほしいです。
④いずれは自主性・主体性を授ける
自主性・主体性とは、経験や努力をし、それに基づく責任、配慮、協調性等を身につけた上で、持てるものです。
それをなくして「自分の判断で行動」をされては、周囲に迷惑が掛かります。
社会が混乱します。
以前は仕事柄、主導権・決定権を握りたがる割には責任、配慮、協調性が身についていないお子さんが、自主性・主体性を「当然の権利」として主張するという場面に遭遇することがよくありました。
大人もそうですが、口達者な人はスイッチが入れば屁理屈も上手です。
でもいくら上手でも屁理屈は屁理屈。
周囲を納得させることは出来ません。
そして対応する側には、いくらでも時間があるわけではありません。
他にもやることがあるのですが、彼らは他人のそんなことにはお構いなしです。
そういう風にならないようにする為にも、まずは身近なところで責任、配慮、協調性を育てる為の経験をたくさんさせて、その様子を見ながら出来る分だけ少しずつ本人に任せていきましょう。
最初は「この人について行こう!」ですが、いずれは「できることは自分でやってみよう!!」になれるように。
なーんてことを書きましたが
どこの誰だかわからない私がこんなこと言っても、なんだか上から目線で不快に感じるという方もいらっしゃると思います。
そこで業界では有名な本を紹介したいと思います。
以下のお二人が書いた本はとても参考になります。
どれも安全・安心を基盤にした生活の中で大人が主導権・決定権を持つことの大切さを分かりやすく示してくれています。
湯汲英史さんのこの本は小学校に上がる前までの一般的な社会性の成長を分かりやすく説明してくれています。
こちらの写真にはありませんが、付属の帯に書かれている「気になる子」の姿から導く子育て10か条にはひたすら納得。
順番すら素晴らしいです。
うんうん、感情のコントロールやときには諦めることが難しいと色んな子がいる状況で興味ない集団活動なんか参加出来っこないし、集団ルールを守る意識が育ってないと自分のことは棚に上げて周囲のちょっしたことでも許せなくて即拒絶するってよくあるよねー φ(゚Д゚ )フムフム…
米澤好史さんは愛着障害対応の第一人者です。
たくさん書かれている事例には端から端まで「いるいる!」と頷きたくなることばかり。
どうしてそんな行動をしてしまうのか、気持ちはどうなっているのかetc...詳しく解説してくれています。
段々と問題行動の背景にある生活が見えるようになってきます。
これらは非常にオススメの本です。
さて、うちの子の学習について書こうと思っていましたが、気がつくとかなり逸れた内容になってしまいました(^ω^;);););)
まぁ、いっか。
今日も読んでいただきありがとうございました✩°。⋆⸜(*˙꒳˙* )⸝