もっしーなろぐ

軽度知的障がいとASDを持つ二人の子どもの母であり、障がい児・者支援分野で働くNsであり、夫と共にローン返済に翻弄するアラフォーの雑記ブログ。最近は子どもの教育やダイエットを中心に呟いています。

インクルージブ教育実践推進高校って何?軽度知的障害児と説明会に参加してきました

みなさん、こんにちは。

先日1番っ子の中学卒業後の進路を考えるために、インクルージブ教育を実践している公立普通高校の説明会に参加してきました。

今回はその高校についてお話したいと思います。

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その前に1番っ子のスペックを説明

障がい児として・・・

これまで散々言ってきましたが、軽度知的障がい児(+ASD+ADHD)です。

幼児期に療育手帳を申請した際に、「B2」と判定されています。

「知的障害児」の判定は、IQの他に日常生活能力や保健面・行動面等の状況も見て判断されます。

  • 程度別判定の導き方
    • 知能水準の区分
      • I ・・・ おおむね20以下
      • II ・・・ おおむね21~35
      • III ・・・ おおむね36~50
      • IV ・・・ おおむね51~70
    • 身体障害者福祉法に基づく障害等級が1級、2級又は3級に該当する場合は、一次判定を次のとおりに修正する。
      • 最重度 → 最重度
      • 重度 → 最重度
      • 中度 → 重度

(※ 程度判定においては日常生活能力の程度が優先される。例えば知能水準が「I(IQ ~20)」であっても、日常能力水準が「d」の場合の障害の程度は「重度」となる。)

 

保健面・行動面について「保健面・行動面の判断」によって、それぞれの程度を判定し、程度判定に付記するものとした。保健面・行動面の判断

調査の結果|厚生労働省

その為軽度知的障がい児の中には、本人の話し方や判断力を見て「そこまで実知能自体は低くないだろう」と思われるようなお子さんも、実際にはおります。

(現在、障がい児相談支援の現場では軽度知的障がい児の案件が急増傾向にある事実とその理由は・・・本当に色々で「コレ!」と絞ることは難しいです。お察しください)

しかし1番っ子の場合、理解面や判断力、それによる話し方や行動を見た限りでは

知能面そのものに障がいがあるであろうことは、もう確実です(2番っ子も)。

会話する能力や言語は年齢相応に期待されるよりも未熟で、コミュニケーションが難しい傾向があります。相手の話を正確に理解することが難しい可能性があります。
しかし、社会的不利を補うように考案された教育を受けることで、能力を向上させ、小学6年性程度の学力を得ることができます。言語習得が幾分遅れるものの、多くの場合、日常生活に必要な会話ができます。発達の進度が正常よりかなり遅いとしても、食事や洗面、着替え、排泄など身のまわりのことは自分でできます。

ハートクリニック|こころのはなし

身辺自立はできています。

最近は将来に向けて、料理や洗濯、皿洗い、買い物、公共交通機関の利用等々、「自立の幅」を広げているところです。

言葉によるコミュニケーションは取れますが、他人様に「上手に説明すること」は苦手です。

色々な経験を重ねた結果、幼少期までは物怖じしない性格でしたが、思春期に入ってからは他人様に対してはかなり臆病と言うか(よく言えば)シャイな感じになってしまいました。

挨拶やお礼、謝罪などもはっきり伝えることができないので、それを克服する(というか、「それなりに伝えること」が出来るようになる)ことが当面の目標です。

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中学生として・・・

支援級に所属していますが、主に数学と理科以外の授業は普通級で受けています。

定期テストも受けていますが、結果を見た感じ点数自体は最下位ではないかと思います。

ほぼ毎日、「中学生」としての学習に取り組んでいます。

国語、英語、社会も去ることながら、数学も理科も付きっきりで私に教わりながら、教科書を見て(ときに教科書のなかの問題にも取り組み)学校から購入した問題集に取り組んで解いています。

普通級の生徒と同様に、テスト前には問題集の必須範囲をやりきって全教科提出しています。

テストの点数は最下位レベルですが、取り組み自体は高く評価されています。

イヤイヤながらも(笑)、毎日真面目に頑張っています。

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それでも、テストという形で一人で問題に取り組むと「最下位レベル」なのです。

上記引用にもありました

社会的不利を補うように考案された教育を受けることで、能力を向上させ、小学6年性程度の学力を得ることができます。

ハートクリニック|こころのはなし

 を、体現しているような現状です。

 

そして、なんだかんだで剣道部に所属して頑張っています。

放課後の練習は休むことなく参加しています。

 

時々、「ともだちはいない」と言います。

それを聞くと親である私はチクリと胸が痛みます。

でも日々の言動をよくよく聞いていると

「今日は(支援級の)友達の〇〇と△△して楽しかった」

とか

「剣道部の友達と◆◆した」

とか話しています。

1番っ子の言う「ともだち」がどういう人なのかよく分からないので、気にすることはやめました(笑)

でも時々普通級の複数の子から揶揄われて困り、トラブルになり掛けては先生に介入してもらったりしているみたいです。

また支援級の生徒であることを良いカモと捉えられたのか、中学校に入学して早々に上級生の集団に絡まれることが複数回ありました。

上記記事に書いた上級生達とは違う集団にもターゲットにされたこともありました。

上級生集団Sについては、真面目に相手するのもバカらしいので学校に介入してもらうことなく、私とマイダーリンのタッグでさっさと取っ払ってやりました。

中学生にもなると、本当に色々なことがありますね ┐(´д`)┌

(これについては機会があれば今後お話したいと思います)

 

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インクルージブ教育推進高校とは

「共生社会」を目指して、知的障がいのある生徒が高校で学ぶ機会を広げながら、共に過ごすなかで、お互いのことを分かりあって成長していくことを目標にしている高校です。

 

普通高校の普通学級のなかに、数名の軽度知的障がい児が在籍します。

そもそも支援級というもの自体が存在しません。

普通学級のみです。

支援級という空間はない代わりに、「ホッと一息落ち着けるリソースルーム」というものはあるらしいです。

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今回説明会に参加した高校は、1学級には40人程度の生徒がおり、一学年大体8~10クラスあるそうです。

全校生徒は1000人弱。

 8時30分までには登校、基本は一コマ50分の一日6時間授業。

2年生になれば希望進路に応じて文系、理系の2コースに分かれます。

 「すべての生徒が共に学び相互理解を深める」ことを掲げており、知的障がいを持つ生徒も学びやすいようにすべての授業でユニバーサルデザイン化を進めています。

例えば、ティームティーチングを実施していたり、ICT機器を活用していたり・・・(昨今のカタカナやアルファベッド推しが正直うざいです。逆に分かりづらいわ!汗)

でも読むことが苦手な生徒向けにルビをつけるみたいな原始的配慮はないみたいです。

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あと知的障がいを持つ生徒を対象に個別教育計画を作成したり、キャリアデザインの授業も各学年に2単位ずつ設定されているそうです。

キャリアデザインの授業では、高校生としてのルールやマナー、コミュニケーションスキルの獲得や自己理解を深めたり、長期休暇中に職場体験や勤労・就労間を育む授業を行い、卒業後の円滑な社会接続とそのための能力の向上を目指すとのこと。

ちなみに質疑応答の際、私は手をあげて「言える範囲で結構ですので、職業体験としてどのような企業があるのか教えてください」と質問したところ、

「地域の協賛していただける企業です」

とだけ返答していただきました。

養護学校分教室の説明会では、こちらが質問しなくてもスライドで職業体験の授業の写真や具体的な企業名を複数あげてくれていましたけどね・・・

基本は障がいの有無に関係なく同じ校則の元で生活し、一緒に授業を受け、学校行事や部活動や委員会活動等の学校生活全般に参加することができます。

健常や障がいという垣根を越えて、仲間と共に互いを理解し認め合いながら過ごし、人格形成や自己実現を促します。 

部活に関しては、中学校の運動部入部に難色を示された過去を考えると

「ずいぶんと太っ腹だなぁ」と思います。

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インクルージブ教育実践推進高校制度の対象者

対象となる生徒は以下の全てに該当するお子さんです。

・知的障がいを持つ生徒

・学級集団で学習及び生活が可能生徒

・(校外学習も含めて)自力通学が可能な生徒

・常時医療的配慮が必要ない生徒

・納得した上で入学意欲があり、また自立に向けて学校生活に積極的に取り組む意欲のある生徒

 

最初に「知的障がいを持つ生徒」をあげましたが、療育手帳の有無は問いません。

支援級への在籍実績も同様です。

但し、受験をするには「事前に見学会に参加している」ことや「中学校からの推薦」みたいなものが必要らしいです。

入学基準が明確であるようで実際はそうでもないような・・・・(汗)

選抜方法は、「検査」と「面接」を実施し総合的に判断するそうです。

「検査」の詳細は分かりませんでしたが、選抜試験のようなものはないとのこと。

定員は20人前後です。

つまり、選抜の結果から不合格者も出る可能性があります。

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普通高校の生徒として授業に参加する生活がメインだけど・・・

説明会の後半で、マイクを持つ先生から気になる発言がありました。

 

「対象生徒にアンケートを実施した結果、毎日一時間半勉強しているという子は一人いました。でもこれは自己申告なので本当かどうかは分かりません。あくまでも本人の感覚ですよ」

 

どういう意図があるのか(馬鹿にしているわけではないでしょうけど)、ちょっと最後の方は半笑いで。

 

それを聞いた私の率直な感想は、あー。「毎日一時間半勉強している」と本人が言っても信じてもらえないんだなー・・・と。

 

1番っ子は毎晩自宅リビングで一時間~二時間は勉強しています。

テスト前に学校で購入した副教材のドリルをやって提出しなければならないので、主に毎日1~2ページずつ✕二教科やっています。

ただし私が横に付き添って、ほぼ全ての問題を一つ一つ一緒に考えて解いています。

毎日付きっきりでやっても基礎問題すら自力で解ききることは出来ません。

毎晩のように説明していますが、単純な考え方もなかなか覚えてくれません。

何年も続けてきた学習習慣だから互いに取り組めるというだけで、本人だって嫌でしょう。

本当だったらやりたくないはずです。

 

こっちだって心折れそうになります。

だって、中学校の勉強ってやっぱり難しい。

最初の三か月くらいは楽勝だったけど、当然段々内容は難しくなっってくるし・・・・

中学校を卒業して20年以上経過しているアラフォーには、やっぱりキツイです。

そもそもが正直めんどくさい。

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それでも私が子どもたちの毎晩の学習を止めないのは、

・助けてくれる人がいれば出来ることは多いという事実を経験から知る

・助けてもらいながらでも、出来る範囲で苦手や困難に向き合うことに少しずつ慣れる

・「教えて」と自分から伝え、苦手や困難に主体的に向き合う姿勢を身に付ける

等が出来れば、それが必ず自立後の人生に絶大な効力を発揮すると信じているからです。

 

また日々の学習について、以下の説明スライドが出てきました。

 

日常の中で勉強が分からない時はどうする?

答え,友達や担当の先生に聞いてみよう

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知的障がい児アルアルのひとつだと思いますが、「どこが分からないか」を自分で把握し表現することは非常に難しいです。

先程、「自分から教えて」と「頼む行動」を1番っ子に身につけさせたいという旨を書きました。

しかしその実、「どの部分が分からないか」 まで表現することは求めていません。

何故ならば「全体的に分からない」から。

分からない箇所を詳細に認知できないからです。

分からない問題を指差すことはできますか、どこまでなら分かっているか、どこからが分からないかまでは伝えられません。

その把握が難しいのです。

それを自分から人に伝えることは尚更・・・。

だから「自分から」教えてほしいとか助けてほしいと頼むことが苦手なのでしょう。

何処を理解していないかを相手がなんとなく分かってくれたとしても、

中高生レベルの説明をされても「やっぱりわからない」となる可能性は高いです。

会話する能力や言語は年齢相応に期待されるよりも未熟で、コミュニケーションが難しい傾向があります。相手の話を正確に理解することが難しい可能性があります。
しかし、社会的不利を補うように考案された教育を受けることで、能力を向上させ、小学6年性程度の学力を得ることができます。言語習得が幾分遅れるものの、多くの場合、日常生活に必要な会話ができます。

ハートクリニック|こころのはなし

 

何年も我が子に勉強を教え続けて気づいた「中学生の壁」

1番っ子に勉強を教えるとき、本人は「問題に向き合う」自体に精一杯であることが多いです。

学習内容や問題の質が変わったからなのか、中学生になってからはほぼそんな風になりました。

記載されている問題を目で追う→意識を遠くに飛ばす(ボーとする)→私が「問題読んだ?意味分かった?」と聞くと①「え?あぁ・・・。・・・分からないから教えて」と、取り組む前から私に解き方を聞くことが多いです。

一見、集中力していないとか自分で考えようとしていないように見えます。

何度か私もイラッとして「ちゃんと考えなよ」と本人に言ったことがあります。

その度に言葉や表情には出しませんでしたが、なんだか1番っ子の目の奥に焦りや悲しさのような影が映り・・・

どう表現すれば良いか分かりませんが、母である私以外には分からないであろう微妙な感情の揺れが見えたのです。

きっと「全体的に分からない問題」に向き合うこと自体大変なのに、その上で「何をどう考えればいいのか」と戸惑っていたのかもしれません。

学習だけではありません。

日常生活のなかには人間関係を含めて「なんたか分からない」ことがたくさんあり、どう向き合えば良いか戸惑うことが溢れています。

一緒に成長してきた普通級のクラスメートたちはどんどん分かるようになり、自然と向き合えるようになっていくのに・・・

どうして自分はうまく出来ないんだろう・・・?

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こんな疑問や経験を積み重ねて、自信がなくなったり不安が強くなったりしたのでしょう。

当然です。

だから

自信の喪失や強い不安からくる、適応障がいや鬱などの二次障がいに繋がる可能性が常に付きまとってきます。

 

それが分かっているのに、私は苦しんでいる我が子をいますぐに助け出せる方法を知りません。

ずっと探しているのに。

課題は1つではないし、少なくもない。

どこに的を絞ればいいのか分からなくなることもあります。

10代という特別且つ限られた時代のなかで、どんな経験を積んでいくのか。

先が見えない漠然としたこの状況がもどかしくて不甲斐なくて、心苦しくなります。

私はこの子の親なのに。

 

授業参加は必須だが学習への取組や理解は?

話を戻します。

 

Q. 分からない時はどうする?

A. 聞いてみよう

 

うーーーーーーーん。

それが出来て解決できたら、どんなに良いでしょう。

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自分の能力の範囲で高校の学習に日々向き合い、分からないところをピンポイントで把握し、自分で友達や先生に伝わるように質問する。

どー考えても難しいやろ!

 

学習理解は求めていないのか、インクルージブ推進教育対象生徒の成績は「授業の参加と意欲、個別支援計画内の到達目標への取り組み状況で判断します」と。

つまり「テストの点数如何で留年にはならない」ということなんですね、きっと。

 

毎晩一~二時間頑張って勉強してもテストの点数は悲惨な1番っ子にとっては、それはありがたいです。

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でも、この環境でそれだとしたら

「分からなくても良いから、1コマ50分の授業を毎日6時間も普通学級で受ける生活」をメインに3年間生活しなければならないわけで。

 

・・・きつくない?

それってかなり苦痛じゃない?

小中学校は支援級に所属して、そこから出来る範囲で普通級の授業に参加していました。

少しずつでも、辛くない範囲で本人が頑張れる範囲を広げて。

おかけで半分以上を普通級の集団指導の中で過ごすことが出来ました。

そして現在も本人と話し合った上で、なんだかんだでそうしています。

中学校では支援級のサポートなく、丸一日普通級で過ごすことも普通にあります。

そのなかで辛かったら、やっぱり無理だったら、いつでも支援級メインに切り替えて良いそうです。

だから

「支援級があるから大丈夫。安心して頑張っておいで。少しでも理解できるように支援級の先生が時々助けに来てくれるし、母さんも家で手伝うから。先生も母さんも、君が精一杯なことを本当は分かっているから」

と言うことが出来ます。

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いままで支援級という制度を活用しつつ頑張ってきました。

その甲斐あってか1番っ子ならこの高校の生活でも、三年間きちんと授業は受けられると思います。

「理解が難しい教科は支援級で受ける」

「頑張っても困難があることを理解して、その上で自分に合った他の方法を教示してくれる人がいる」

そんな環境は、もうないとしても。

受けるだけなら。

分からなくても。

授業中は静かに着席して時間が過ぎるよう過ごすことは出来るはずです。

でも学生生活最後の3年間です。

このあとは、きっと社会人です。

 

一度きりであろう高校生活。

最後の学生生活になるかもしれない。

本当にそれでいいのだろうか・・・・?

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説明会で感じたこと

インクルージブ教育の理念や制度は本当に素晴らしいです。

この制度が実現したこと、心から嬉しく思います。

その上で率直に、説明会で感じたことを言います。

 

知的障がい児を受け入れるインクルージブ推進高校を掲げてはいますが、

年相応の理解の困難やそれによる辛さが日常的にある「知的障がいを持つ現実」を

そもそも分かっているのだろうか?

 

長いこと普通高校としてやって来た学校です。

何十年もの歴史があり、普通高校としては落ち着いた状態を保っていると評判も良いみたいです。

でもインクルージブ教育を掲げている割には、「知能の障がいを抱える軽度知的障がい児を支援するだけの力」は、現段階ではないなと感じました。

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自分の話と支援の話

私は看護学校を出ていますが、それとは別にとある大学の研究室で行動心理学の研究をました。

動物や協力してくださった人(障がいの有無や程度、年齢は様々)を相手に、休日も関係なしに日々実践に取り組みました。

自分の考え通りにならない反応や行動、圧倒的な身体能力の差や危険と向き合い、ヒーコラしたり落ち込んだりしながらも頑張って論文を作り卒業しました。

仲間と互いの研究にも協力し合って、毎日色々な対象の様々な反応や行動を観察しました。

サルとか犬とか猫とか馬とか・・・。

20年近く前の話です。

もうあんな経験はできません。

若いからできたことです。

 

もともと身内に重度障がい者がおり、生まれたときから高校卒業まで一緒に生活してきました。

昔は数少なかったですが、そういったコミュニティが普通の環境で育ちました。

迷惑をかけているわけでもないのに、老若男女多数の人から沢山の差別を受けました。

ひと昔の社会には「それをしてもいい」との暗黙の了解がありました。

それをすることがあちら側の当たり前の権利かのように、

受け入れることが私たちの当然の義務かのように、

「する側」と「される側」が自然に出来上がっていました。

はっきりと気付いたのは4年生の頃。

思春期に入り、これまで分かっていなかったことに急激に気付き始めたのでしょう。

本人が理解できない分、「する側」の人たちが本人にどうすればいいか分からない分、それは私達家族に向けられていると分かってしまったのです。

圧倒的多数を前に抗う気持ちなんて出てきませんでした。

幼少期の経験からそのようになってしまっていたのでしょう。

道端でも見ず知らずの人でも、ただ私たちが歩いているだけでも、

誰から馬鹿にされるか、嫌がらせをされるか分からないと、

家の外では出来る限り目立たないようにしつつ、常に他人の視線や行動、顔色を気にしていた子供時代。

家族の精神はとっくのとうに限界を越えていて、それぞれがおかしくなっていて、

父親は、私が上階の部屋で布団を頭から被って耳をふさいでいても聞こえてくるくらいの強さで、縛り上げた子どもの頭を拳で繰り返し殴っていたし、

母親も逆上して子どもに向けて包丁を向けてきたこともあったし、

止めに入れば自分がやられたし、

家から逃げだす術も知らなかったし

外と同様に受け入れることを当然の義務のように、

親はいつか私か姉か兄を、又は全員を殴り殺すか刺し殺すんだろうなと思って、

機嫌や行動を気にして警戒していた家庭生活。

両親はしょっちゅう大声で叫んで喧嘩したり私たちを怒っていたからご近所さんは知っていただろうし、私たちの顔や身体に痣ができていたこともあったから小中高の学校先生たちだって気付いていたはず。

でも私と姉兄は「それをしてもいい」「される側」の末端にいる人間だったから、誰にも気にかけてもらえず大人になりました。

この経験が基礎となったのか「観察し検証する」ことの連続だった大学研究室での生活は、苦ではありませんでした。

そしてこのときの学びや実践、また(疾病の後遺症を中心とした)障害者病棟での看護師としての経験が、障がい児者を支援する職業人としての私の基盤を作りました。

だからはっきりと言えます。

 

理解するために本を読んだ。

支援するためにセミナーや研修に参加した。

たくさん勉強した。

 

それだけじゃ

支援者として障がい児一人一人に向き合えるような実力は持てない。

全然足りない。

 

看護学校で勉強しただけじゃ、どんなにテストで良い点数を取っていたとしても看護師としては働けません。

国家試験に合格して看護学校を卒業して、初めて看護師としてスタートすることができるのです。

でもそれでも十分ではありません。

勤務中も厳しい指導を受け、帰宅後も休日も勉強をしなければならない新人時代。

先輩がいなければ分からなかったり不安で対応できない業務の連続。

その後は後輩への指導。

先輩面して分かっているつもりでいても、現場では大して役に立たない。

少しでも気を抜いたら、ただの足手まといになることもある。

責任と自分の看護師としての浅はかさを感じ、凹み、実践と学びを積み重ねていく日々。

「看護師として1人前になるには最低でも5年」と、私が新人の頃は言われていました。

 

本を読んだ、勉強した、障害者支援に合うアプリやツール情報を知っている

 

大いに結構です。

私は決して成績良好ではなかったし、物覚えだって良くありません。

だから、それができる人は羨ましいし尊敬しています。

 

でもそこで

「たくさん勉強したから私は分かっています」

「資格を持っているんだからプロ」

と言われても

 

現実を目の前にしたときに、何もできない

 

と、私は思います。

 

まぁ、いきなりそんな感じで来る人は「そんなにいない」です。

百歩譲って「いた」場合、この考えは「成績は良い」「勉強を頑張ったから分かっている」と自負している方にとっては、プライドを傷つけかねないでしょう。

だから言葉にはしないし、態度にも出さないように気をつけています。

その代わり相手が専門書に載っているような小難しそうな単語やカタカナ用語をたくさん並べて話していたり、

「勉強をしたから支援の仕方を人一倍分かっている」

「職員に教えられる」

というような態度を取っていても、

それを彼らに期待することはないです。

 

社会という集団のなかでは、複数の人に様々な壁が時期を問わずランダムに出現します。

障害福祉サービスの児童分野では、一人一人の壁に適宜対応できるような個別支援系の事業所が多いです。

しかし(そのなかでも学習メイン系以外は)、「10歳まで」とか「小学校卒業まで」みたいな幼児と学齢児しか利用対象にしていないところばかりです。

一方、学校では個別支援は出来ません。

先生方も支援現場の職員の方々も精一杯やっていますが、無理なんです。

思春期以降の社会生活には、大小の差はありますが集団以外の選択肢はありません。

そのなかで、見られる反応や行動は千差万別です。

だからこそ支援現場では、対象者自身の学びの場としての集団指導を提供すると同時に、そのなかで一人一人の壁やその原因に気づき向き合える力が必要です。

知識は基盤にはなりますが、それだけでは複数の支援対象がいる現場では力になりません。

「書かれていた内容を分かっている」だけなら、その場での判断や対応は出来ません。

 

用語の意味を分かっていると支援者側の職員に示せても

専門書の内容をスラスラと話すことができるとしても

(それ自体はすばらしいことですが)

それだけでは

複数の対象を同時に前にしながら一人一人の支援を平等にする現場では役に立ちません。

 

専門書のなかに書かれている世界と現実には大きな差があるのです。

その差を目の当たりにして、それでも差を埋める「答え」を、時間をかけて一つ一つに向き合い探し続けた人は

支援者として「できる」ようになれるのでしょう。

培うだけの時間も場も与えられずに

教員として現場に立つからには「支援のプロ」であることを求められてしまう先生は

本当に大変ですね。

支援される側も、支援者に「プロ」としての能力を求めるのではなく

自分達を適宜後方援護してくれる心強い「味方」と捉える方が

お互い理解し協力し合えると思います。

 

実際に高校生活を送っている生徒さんの意見 

説明会の最後にインクルージブ教育対象の生徒さんへ向けたアンケート結果が発表されました。

クラスの居心地の良さは「とても居心地がいい」「居心地はいい」「あまりよくない」「居心地悪い」の4つから、全員上の二つを選んでいました。

文化祭への取り組みも、みんなが「とても楽しかった」「楽しかった」を選んでいました。

実際にそういう声が上がる言うことは、きっと本当に過ごしやすい学校なのでしょう。

先生方の日々の頑張りがあってのことと思います。

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ところで「四年生大学に進学を希望しているお子さんが一番多い」と説明がありました。

頑張れば小学校卒業程度の学力習得は可能と言われていた子たちが、

さらに理解と支援を得ることによって、高卒資格まで取得できる・・・!!

ちょっと前なら考えることも憚られたことです。

その夢を応援し背中を押すことは大事です。

 

しかしそれだけではイイカッコしいの無責任になりかねません。

憚られていた理由は、単純に「差別」や「無理解」だけではないのです。

それを考慮してなのか、1番っ子の担任の先生は入学してすぐに汚れ役を買って出てくれました。

進路のことも、部活のことも。

高校の先生方はどう考えているのか、気になるところです。

彼らの夢と現実と能力を、現在の知的障がい者支援における社会の在り方を。

 

 

高校卒業が、その先の進学が、人生のゴールになるわけではありません。

世界はその先も、まだまだ続くのです。

 

 

先生たちは元々は普通高校の先生たちで、当然障害児支援の経験は全くなかったり又は少ないと何かの記事で読みました。

まだまだ知らない壁があるのかな・・・・。

 

そして説明会の締め括りに司会の先生から一言メッセージがありました。

 

基本は健常のお子さんと同様の教育活動です。そして私たちもこの制度が始まってから、日々手探りで行っています。どうかご理解下さい。

 

 

進学先を最終的に選ぶのは1番っ子ですが、説明はしても私から本人に勧めることはしません。

しかし本人が行きたいと言うのならば、否定はしません。

1番っ子ならきっと大丈夫です。

どの学校を選んでも私は先生方と一緒に、高校生活の延いてはその先の生活に向けた訓練の援護をするつもりでいます。

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まだまだ公立高校のインクルージブ推進教育は始まったばかりです。

きっと先生たちも一生懸命勉強し向き合おうとしているのでしょう。

 

障がいとは本当に様々です。

軽度知的障がいと言っても、IQの幅は結構広かったりしますし、他の困難の状況から判断されることもあります。

知的障がい単独の場合もあれば、ASDやADHDを併せ持っている場合もあります。

でも本当は、人として大した差なんて無いんです。

ちょっとだけ普通と異なるものを持って生まれてきた。

ただそれだけで

これまで多くの人が諦めた「希望」がありました。

この制度ができたお陰で、これからそれを掴める子がきっと出てくるはず。

同じ課題と向き合う支援者同志として、こんな大きな組織が仲間として加わったことは純粋に頼もしいです。

そしてこの制度の、携わる先生方の、これから先の飛躍を心から期待しています。

 

そんなこんなでこのお話はおしまいにします。 

今日も読んで頂きありがとうございました☆