もっしーなろぐ

軽度知的障がいとASDを持つ二人の子どもと障がい支援分野で働く母Nsの歩み

リトルエンペラー症候群「問題行動が目立つ子」 ★特徴・対策と習い事の勧め

前回リトルエンペラー症候群について書きました。

今回はその続きのお話をしたいと思います(これは二回目の記事です)。

www.mosikasitara-iina.work

以下の文章は「たんぽぽのイラスト」まで前回記事と同様の内容です。

前回記事を既読の方は飛ばしてくださいませ。

 

リトルエンペラー症候群の例

・自分でできることでも、大人にやってもらいたい

・自由時間に何をして過ごせばいいか分からない

・思い通りにならないと大声で泣いたり怒る。または反対に黙り込んで動かない。とにかく大人を根負けさせようと粘る

・自分の失敗も人のせいにする

・学校に対して、親を通じて自分の要望やクレームを言わせる

等々。

最近では、よく見聞きするしますね(苦笑)。

小学生以上でも、このような特徴が見られるお子さんは結構います。

今回は、このリトルエンペラー症候群についてお話しさせていただきます。

が、単独記事では説明しきれないくらい多様であるため、複数回に分けようと思います。

 

今回は後天的問題行動のお話です

これは後天的要因に基づく心理・行動様式の概念です。

つまり経験や環境から得た結果であるという可能性が高いということです。

このブログは、先天的な要因である知的障がいや発達障がいにフォーカスを当てていますが、今回はちょっと違います。

 

理解と支援が必要な「先天性を含む問題行動」

ASDは感覚・認知の障がい

1)脳のタイプ(認知特性や感覚特性)が定型発達の人とは異なるタイプである
➡先天的要因が関係している
➡環境(他者を含む)と相互性をもちにくい
2)複雑性 PTSD と ASD の症状が類似している
➡ASD とトラウマとでは症状形成メカニズムが類似している
➡客観的には適切な環境でのトラウマ体験(主観的トラウマ体験)
➡トラウマ自体が症状に影響している
3)同じ診断名でも個人間差と個人内差(年齢による変化),つまり症状の表れ方が多様である
➡後天的要因による影響を示唆する
4)社会性(特に対人面)の発達には安定した愛着形成が必要である
➡ASDの社会性の症状にも愛着が関係している
➡そもそも社会性の発達は後天的要因が大きい
5)人間は環境に適応する(自己の欲求や安全・安心を得るための行動をとる)
➡問題行動や特性と捉えられている行動は環境への適応の結果と考えることもできる
6)環境との不適合状態が生じている
➡先天的要因により環境との不適合状態(ギャップ)が生じる(発達環境ギャップ

https://confit.atlas.jp/guide/event-img/edupsych2019/PH12/public/pdf?type=in

⇧を要約しますと、

1)ASDのように先天的な認知・感覚障がいの場合、他者や環境によって症状が左右されることはない

(特性は時と場合によって出たりでなかったりするものではなく、常にあるもの=そのひとの個性)

2)過去のトラウマ体験によって「するようになってしまった反応・行動」とASDの特性として形成された行動の発生メカニズムには共通点がある

(ASDの人も、普通に過去の経験から特性以外の行動を獲得することができる=トラウマ体験により何らかの問題行動を獲得してしまうリスク有)

3)一言に「ASD」「自閉症スペクトラム」と言っても、その特徴は一人ひとり様々。

(良くも悪くもその人となりは、これまでの経験から形成される)

4)対人関係を中心とした社会性は、育ってきた過程、特に他者との愛着形成から強く影響を受ける

(ASDは先天的な障がいで「対人関係の形成が困難」と評価されがちだが、社会性は育ってきた過程の中で形成されるもの。そもそも「人と関わる経験」なくして社会性は育たないんだから、「先天的にできない」と諦めてしまったら元も子もない!)

5)ひとは時と場合によって行動を変えられる

(ひとは何らか不安を感じた際に、自分が安心して安全にいられるように臨機応変に行動を変える。そう考えると問題行動と言われるものも、もしかしたら何らかの不安に対応しようとした結果なのかもしれない)

6)先天的な感覚・認知の障がいは時と場合によって変えられるものではない。これが生活環境と平和的に融合しないと、問題行動を生じてしまうことがある。

(一見ごく普通の状況であっても、「先天的な感覚・認知の特性」には合わないこともある。それにより強い不安が生じた場合は、問題行動につながってしまうリスクUP)

 

となります。

要は「感覚・認知による個性的な行動」は、本人次第ですぐにどうこう変えられるものではない、ということですね。

また、過去のトラウマから感覚や認知に不安や歪みが生じてしまった場合、その行動が「個性」の域を脱して「問題」になることもあります。

そしてその「問題行動」は「感覚・認知」故のものなので、時と場合によって変えられるなんて生半可なものではありません

注⁑4)にある「愛着形成」は、「愛情を注がれたどうか」に限定するものではありません。「本人のために、社会に適応できるように教え、導き、根気強く見守れる存在」にも注目です。☜結構重要なポイント

 

ADHDは行動の障がい

ADHD自体には自他や状況認知に関する障がいはありません。

よって、ASDよりは社会性や対人関係を形成する潜在的ハンディキャップは少ないと言えるでしょう。

ただ、認知してから行動までの間に「先のリスクを考えてこの行動をするか否か」を考え決定する「心のブレーキ」の調整が苦手です。

「心のブレーキ」を調整するよりも先に、全力で行動に出てしまいす。

そのため「今してはイケナイ行動」をついついしてしまいがちです。

「あの状況でコレをしてはイケナイ」ということは分かっているのですが、「気がついたらやってしまっていた」。

そして本人は直後に「しまった」「またやらかしてしまうんだろう」「どうしていつも・・・」と自己嫌悪に陥ります。

「心のブレーキの調整が難しい」という特性は、他者からは分かりにくいものです。

そのため周囲から「本人は不適切行動であることは分かっているのに、きちんとしない」=「しつけがなっていない」と評価されがちです。

しかしよくよく見ていれば、そんなものではないということはすぐに分かります。

彼らは自分に降りかかるメリット・デメリット関係なしに行動し、よく失敗しています。

都合よく「いい子」になることができません。

いわゆる「目上のひと」「ばれたらやばいひと」の前でも盛大に大失敗をやらかして、しょっちゅう凹んでいるのです。

彼らの問題行動もまた、「時と場合によって変えられる」ようなものではないのでしょう。

 

「時と場合によって変えられない行動」により不適応が生じ、苦しんでいるひとたち。

支援者はそのひとたちが抱える困難を正しく理解し、環境を調整したり、(獲得できそうな)適切な行動を教えたりして、ともに社会の中で平和に生きていく手助けをしています。

 

「時と場合によって調整できる問題行動」は後天的要因

反対に、時と場合で「やる」か「やらない」かを変化することができる、いわゆる「本人の気分次第」で生じる問題行動。

この原因は「環境や経験」である可能性が高いです。

最初の方に記した「思い通りにならないと大声で泣いたり怒る。または反対に黙り込んで動かない。とにかく大人を根負けさせようと粘る」はその一例。

本人の「思い」は、時と場合によって安易に変化しますからね。

上記ASDの説明で記した通り、ひとは時と場合によって行動を変える能力を普通に持っています。

これは先天的障がいの有無は関係なく、等しく誰もが有する能力です。

問題行動を起こせば応えてくれる「誰か」がいる。

その人のおかげで、自分の思い通りになる。

だったらやるでしょう。

これは「他者や環境と相互作用を持ちにくい認知・感覚の障がい」でもなければ、「直後のリスクを考えた上で調整をする心のブレーキの問題」でもなさそうです。

何故なら時と場所を考慮し、相手を選び、その反応を見て、どうすればこのあと思い通りになるかを考えながら行っているから。

 

障がい児教育や支援の現場では、密かに様々なカテゴリー分けがされています。

・愛の手帳や療育手帳等を根拠とした「知的障がい枠」

・身体障害者手帳等を根拠とした「身体障がい枠」

・医師の診断書等を根拠とした「医療ケア児枠」

・感情や行動のコントロールが難しく社会生活に困難を抱えている「情緒・行動障がい枠」(発達障がい児枠)

 

そのなかで、端から見たら明らかに「コントロールしながら問題行動を起こしているお子さん」の相談が、時々回ってきます。

周囲の大人は「繊細だから本人も色々大変だろうけど」と前置きをした上で「感情や行動のコントロールの仕方を身につけてほしい」と希望します。

しかし同時に「本人がやりたいことだけをやらせてほしい」「嫌だということはさせないでほしい」「機嫌を崩さないように気をつけてほしい」とも要望するのです。

 

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*前回記事と同様の説明はここまでです。
 

子どもの言うことはどれくらい聞く?

私が子どもの頃は「親父の小言」という昭和の格言(?)が居間に飾られていました。
その中にあった一文、「子のいうこと八九はきくな」。
これは「子どもの意見をすべて否定したりせず、たまには受け入れろ」という意味らしいです。
時代は変わって、現在はどうでしょうか。
「大人はお子さんの気持ちを尊重しましょう」なる考えが、教育関係の本や記事の主流になりました。
「まずは第一に受け入れる」を大前提にしています。
数十年で大きく変わるもんですね。
私がおばあちゃんになることには「子どもの言うことだけを聞け」とかになっていたりして(汗)。
冗談はさておき、その正否をここでは論じるつもりはありません。
どちらもメリット・デメリットがあるでしょうし。
しいて言うならば、私は「どちらもホドホド派」です。
 

昨今、尊重大前提のデメリットを目にするようになってきた

子どもの「やりたい」や「やだ」を優先する風潮を感じる今日この頃。
子どもを満足させた方が、大人のストレスも少なく済む時もあります。
しかし最近の発達支援現場では、「まずはお子さんの気持ちを尊重する」というメッセージを極端に現実化ているケースに出会うことがあります。
その結果、彼らは親子共々苦しんでいます。
該当ケース最初の主訴の多くは冒頭にも通じる、「繊細過ぎる」「気持ちの切り替えが苦手」です。
 

気持ちの切り替えとは?

障がい児者支援の場にいると、様々な「気持ちの切り替えが苦手」に遭遇します。

次の作業に取り掛かるためにお決まりの段階を踏まなければならないため時間が掛かる、パニックになると他のことをできない、等々。

特にASDには多く見られます。

本人なりに頑張ろうとしているのですが、環境と「本人の感覚・認知」のミスマッチにより、スムーズに行動することが難しいです。

この「スムーズに行動することが難しい」が、周囲の人や状況とさらなるミスマッチを生みます。

そして時には不安やストレスが生じ、いわゆる「問題行動」につながってしまうのです。

ASDの感覚・認知に関する丁寧な介入支援は、問題行動の予防・改善のためにも必要不可欠です。

 

しかしリトルエンペラー症候群の場合は少し違うのです。

彼らは「まずは自分に理解を示し、寄り添ってもらう」という対応を、大人から過剰に享受してきました。

そのためこれまでに経験すべきだった「まずは自分が頑張る」体験が、極端に少なくなってしまったのです。

それにより「自分で何とかしようとする」という気持ちが育っていない状態でいまを過ごしています。

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平等=尊重

甘え上手だったり状況を読むことがうまいお子さんっていますよね?

久しぶりに会う祖父母には可愛らしくおねだりして、欲しいものをゲットしたり。

体育の先生は怒ると怖いから静かに授業を受けるけど、英語の先生は強く注意しないから騒いでもいいや、みたいな。

ひとは「時と場合によって態度や行動を変える」ことができる生き物です。

しかし成長と共に、そのような態度・行動はなりを潜めていきます。

経験を通して、このような行動は「ひとを傷つける」「不快にさせる」そして「自分の評価を下げる」というリスクに気付くからです。

代わりに「なるべく平等さを保ってひとと接することの大切さ」を知り、身につけていきます。

しかしリトルエンペラー状態のお子さんたちは、「大人が過剰なまでに自分を尊重するる環境」に身を置いてきました。

「相手の気持ちを考え尊重する経験不足」の状態に陥っています。

それなりに平等なバランス感を得られないまま、年齢を重ねてしまうのです。

彼らは大きくなってからも、「自分が他者より尊重されない状況」に漠然とした不安を感じます。

そのため「自分を尊重させたい」と不平等な願望を抱き、様々なアクションに出るようになります。

 

相手の気持ちを考えながら「行動する」

子どもには、よく「相手の気持ちを考えよう」って教えますよね?

これには共感力が必要です。

共感力の形成は、(定型発達で言うと)幼児期後期以降に急速に促進されます。

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それなりの前提として、これには「相手がどんな気持ちか」を察する認知能力が必要です。

つまり「察する能力」は、それ以前から形成され始めているということです。

しかし兎にも角にも自分が尊重される環境に身を置いてきた子が、「小学生になったから」「道徳の授業で習ったから」というだけで、「相手の気持ちを考えた」行動をとれるようになるでしょうか?

答えは勿論 NO! です。

「相手の気持ちを考えよう」は散々教わりました。

頭には知識として、とっくのとうに入っています。

しかしそれを身体で実践する体験を積まなければ、「知っている」だけ。

「察する能力」と、それをもとにした「適切な行動」は一体のようで一体ではありません。

どちらも日々の経験や気づき、成功や失敗等々を、繰り返し体験しながら獲得していきます。

それが積み重なっていった結果、相互的な対人関係の形成が自然と可能になるのです。

 

自分の感情や行動をコントロールする「自律」

ほとんどのお子さんは、「適切な行動をするように、時には厳しく促してくれる大人」のもとで育っています。

そのため、家の外の集団生活でも適切なふるまいをできるようになります。

しかし一見「きちんとしている」と高評価を得ているタイプの中には、「それを促す大人の前でしているだけ」というパターンを目にすることがあります。

本来ならば子ども同士で遊んで過ごせるはずの時間帯すらも、大人とだけ、又は一人で過ごすことが多い今日この頃。

このようなお子さんのなかには、「適切な行動をするように、時には厳しく促してくれる大人」の姿が見えなくなると、自分を律して行動できなくなるタイプがいます。

先程の「体育の授業は大人しく受けるけど、英語は騒ぐ」のように、厳しいひとの前ではきちんとするけど、他ではそうでもない、みたいに。

 

子ども時代は「友達」「仲間」という対等な子ども同士の中に身をおいて、自主的に暗黙のルールを守りながら、時にお互いを律し合い、関りを楽しむ時期です。

これは、社会生活の中で自分が知っている「適切な行動」を、大人なしに自分の意思で実行するトレーニングタイムでもあります。

そこでは不器用ながらも共感し、気遣い、尊重し合うという相互的なやり取りが、水面下で繰り広げられています。

 

一方、リトルエンペラー状態のお子さんには、一方的な尊重を優先し、それを享受することが普通の状態になっています。

その結果「対等な存在」がいません。

その上で「適切な行動を、時には厳しく促すことができる大人」もいません。

対等や平等、自律の気持ちも育っておらず、経験や練習をする相手もいません。

集団や社会のなかでそれに基づいた振る舞いをすれば、当然目立ちます。

 

リトルエンペラー症候群:「問題行動が目立つ子」

私は発達支援の現場で

「小学校はうちの子を尊重してくれない。大人がちゃんと寄り添えばできる子なのに。できるように先生や学校がちゃんとするべきだ」

という「相談」があったと耳にすることがよくあります。

このようなお子さんたちは、これまで「相手や周囲に合わせる」経験をせず、自分に合わせ寄り添ってもらってきました。

それが小学校入学により激変します。

大人が居ない場面はたくさんあります。

そのなかではネガティブな経験も普通にします。

ネガティブは自他の認知を促進するエッセンスにもなるしストレス耐性にもつながります。

過剰なネガティブは厳禁ですが、社会生活の中で成長に見合った些細なものなら、経験して然るべき価値があります。

しかしリトルエンペラーのお子さんは、自律力も自他認知もストレス耐性も、年齢に見合った育まれ方をしていません。

みんなとは似たり寄ったりの能力を持って同じように育ってきたつもりなのに、なんだか居心地が悪い。。。

そんな状況で毎回数時間も過ごさなければなりません。

この長時間に耐えることは厳しいでしょう。

集団生活の中で不適応を生じてしまうのは当然。

その結果、何らかの問題行動をするようになります。

それは本人が思っている以上に、他者の目を引く行動です。

 

快適な領域の入り口には問題行動が潜んでいる

それを補うように、これまで通り「自分を尊重しようとしてくれた環境」に身を置こうと、お子さんなりに頑張り始めるのです。

これを心理学的ホメオスタシスのコンフォートゾーンと言います。

直訳すれば、“快適な領域”。コンフォートゾーンにいれば、まさに「温かい布団」に包まれるように、無理をせず快適に暮らしていくことができるのです。

ホメオスタシスとは? 自分を “変える” メカニズムを解明! - STUDY HACKER

「コンフォートゾーンにいようとする努力」には、これまでのコミュニケーション形態が反映されます。

例えば

・本来お話は上手なのに、思い通りの理解や対応がされないと「ん~~~~」等の怒っているような言葉や表情・行動で不満を表出し、大人から「どうしたの?」等の声掛けを引き出そうとする

・座り込んで大声で泣いて、宥めさせようとする

・布団や押し入れの中に潜り込んで出てこないことにより、長時間注意を引こうとする

・普段甘え口調でしゃべっていても、気が向かないことを促された途端に暴言・暴力で延々と反抗し、思い通りにさせようとする

 とか・・・

これは前記事リトルエンペラー症候群「自分でやりたくない子」★特徴・対策と習い事の勧め の内容と被りますね。

どうやら「相手を困惑させて、自分に注目させる行動」は、彼らのコンフォートゾーンに通じているのかもしれません。

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「大人が困惑するような態度」の理由

年長さんくらい(定型)になると「社会的善悪の概念」がある程度形成されます。

そして小学校入学以降は認知機能がさらに発達し「おともだちの目」を気にするようになります。

いわゆる「赤ちゃんみたい」だったり「わがまま」な行動は、「恥ずかしい」と認識するようになるのです。

そのため「嫌だから」という理由で、人前で駄々をこねたり泣き喚いたりするような行動は減少します。

しかし年相応な言語能力や社会的なルールの認識を持っていても

「気が乗らない」「面倒な」ことを促されると

⇩⇩⇩途端に

・「赤ちゃんみたいな行動」や暴言・暴力をしたり

・何がなんでも全力で否定する

という行動をするタイプのお子さんが、学齢期以降にもたまにいます。

 

彼らは状況を読み、反応をうかがいながらあの手この手を駆使します。

おかげで大人(特に親)はしょっちゅう困惑することに。

なかには頭の回転よろしく口達者で、延々と「あーでもない、こーでもない」の屁理屈を繰り広げるお子さんもいます。

しかし冷静な第三者から見たら、それはただの「論点ずらし」でしかないということがほとんどです。

 

論点ずらしで主導権ゲット

例えばお子さんの暴言に対して

大人「どうしてそんな言い方をするの?」

子「言ってない。そんなことは言っていない」

大人「たった今はっきり言ったでしょう」

子「俺が嘘をついているっていうの?俺を嘘つきだと言っているんだ」

大人「そんなことは言っていない」

子「嘘だ。俺を嘘つきだって言いたいんだろ!いつもそうだ。俺なんかいなくなればいいと思っているんだ」

大人「そんなことない。あなたのことは大切に思っている」

子「嘘だ。嘘つき!」

 

大人は子どもへ言葉遣いや態度への注意をしようとしたはずなのに、全く違う方向へと話をすり替えられています。

「問いただす側」/「答える側」の立場は、あっという間に逆転。

主導権は子ども側に移ってしまいました。

会話としてはとても自然な流れなのですが、大抵はその後も「論点を戻させない」ように必死の攻防が続きます。

大人が再度言葉遣いや態度を正そうと試みると

「やっぱり嘘つきだと思っているんだ!」

と無限ループに突入。

これは「親と子」のみならず、「先生と生徒」でもあり得ることです。

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「論点ずらし」を指摘されたら、それすらもずらそうともします。

本人は話し合いの中で「注目されては困るテーマ」を分かっているのです。

ある意味ではこのお子さんは認知機能がしっかりしており賢いと言えるでしょう。

「不自然なくらい自分の非を認めず屁理屈をこねる」というお子さん程、本当は「何故注意されているのか」、その原因を理解しているのです。

 

行動して体得する練習をしましょう

冒頭でADHDの話を書きました。

彼らへの支援方法は

「行動の仕方を細分化して ➡ 各々をスモールステップで経験をさせ➡行動の体得・強化を促し ➡ 一連のものとして繋いでいく」

です。

これをすることにより、心のブレーキ機能を高めていきます。

この支援方法は「状況にあった適切な行動を一連のものとして教え、強化し、その成長を支える」という教育的関りです

そしてその後は対等な子ども同士の集団の中で過ごすように促し、感情表現や行動の様子を見守っていくのです。

 

リトルエンペラー状態のお子さんのそばには、「適切な行動をするように、主導できる大人」がいません。

そして当の本人は、「自分が主導権を握ることにより、問題となる言動・行動すらも尊重してもらえる場所」を求めています。

「どんな自分でも受け入れてもらえる」という安心・安全感は、愛着形成の基盤です。

これを育むコミュニケーションを受容的関りと言います。

これは愛情的価値観をもとにして行われます。

「安心・安全の基盤を作る」受容的関り。

「社会性を育む」教育的関り。

両者は子どもが成長する上で必要不可欠なものです。

両者が又は一方が欠けていたり、度を越えていたりしてはいけません。

大切なのはバランス感。

このバランス感が整ってこそ、安定した愛着形成が可能となるのです。

 

教育的関りの少なさは「服従」を生む

しかリトルエンペラー状態のお子さんは、大人に対して「受容的関りをするように求めながらも教育的関りは拒否する」という特徴があります。

 

上記会話での問題点は

子)

・分かっているのに後悔・反省の態度を示さない

・「分かってはいるが、できない」自分を訂正できないまま、必死に自己保身をしている

・混乱し、事実と異なる形で無理やり相手への批判を繰り返そうとしている

大人)

・受容的関りと教育的関りのバランスが崩れている

・子どもにつられてどんどんヒートアップしている

・結局振り回されている

等です。

 

大人はお子さんの言葉に寄り添おうとしたものの、主導権を渡してしまいました。

しかし主導権を持ったお子さんは、自分を律する力がまだ身につけていません。

そのため主導権を得たまま、やるべきではないと分かっている行動を続け、自分をコントロールできずに混乱してしまっているのです。

本来「寄り添う」支援は、相手の困難を把握し、それによる不安や辛さを和らげるものです。

そして「安心・安全」につなげ、社会生活を安定させるものです。

しかしこの例の場合は、混乱はひどくなり、相手が疲弊し根負けするまで続くでしょう。

このようなことが続ければ、この子は「安心・安全」な場所を徐々に失っていくでしょう。

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これは「寄り添う」ではないのです。

じゃあ何なのかというと、しいて言うならば「服従」でしょう。

 

「服従してくれそうな人」=数少ない居場所

ASDの人は先天的な「感情・認知の障がい」を持っています。

日常的に相手の気持ちを理解しづらい」特性が対人的な困難につながりやすく、人知れず苦労します。

対してこのような特性を持たないひとは「時と場合によって理解を示したり示さなかったり」を自由自在に繰り広げることができます。

しかし「それをやったらダメでしょ」と心のブレーキをかけられるので、普通はそんなあからさまにすることはありません。

リトルエンペラー症候群そのものはADHDの特性とも違って、その場で心のブレーキを調整することが可能です。

しかし「かける対象」は居ないも同然だったり極端に少なかったりします。

また、「かける対象」と「かけない対象」へ向けた行動の差が大きすぎます。

「かけない対象へ向けた行動」が時に行き過ぎて、「問題行動」の域に達してしまう程に。

 

先程の例についても同様です。

相手を傷つける暴言を言っても、結局は受け入れてくれるか、振り回されながらも食いついてくるか、最後は泣き寝入りしてくれる相手か、自分がいる場所はそういう環境かどうかを見ています。

即ち、自分にとって「そうして良い相手なのか」「問題行動に対するメリットはあるか否か」確認する作業を繰り返し、相手を疲弊させてしまうのです。

なぜならそれが、彼らに残されたコンフォートゾーンだからです。

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受容的関りと同等の教育的関りを

ここで大人の重要な対応はただ一つ。

お子さんの苦しみを「理解しながらも過剰な反応や対応をせず、大人として教えたことを本人に行動させる」。

  1. お子さんの論点ずらしのパターンを冷静に把握し
  2. 話し合いでは毅然とした態度で
  3. 問題点の対応は自分でさせる

 

注意すべきは、「お子さんに否を認めさせることに注力しない」です。

ここに注力する対応は、教育的関りではありません。

これをしてしまうとお子さんの感情の混乱はますますひどくなります。

そもそも本人は「否」であることを分かっています。

それを認めた上でどのように対応すればいいのか分からないから、認められないのです。

お子さんが抱えてしまった辛さや苦しみを受け止めながら、「間違いをしても正す行動(相手に謝るとか今後は気をつけるとか)をすれば大丈夫」であることを伝えます。

そして「これからどうすれば良いか」を教え、実践・行動するように促しましょう

 

そして会話の主導権は、お子さんではなく大人が持ちます。

不安を抱え混乱しやすいお子さんが主導権を持っていても、みんな一緒にさらなる大混乱に陥るだけです。

何故なら彼らは、自分の「思い通り」にしようと一生懸命頑張ってはいますが、「思い通り」の先に何があるかまでは分かっていないのです。

そこまでの知識や経験はないのですから。

主導権は本来、経験や知識を得て、方向感覚を養ってから持つもの。

そして大人はそれを持っています。

お子さんの言葉に振り回されずに、自分の軸・立ち位置を明確にし、進むべき方向性を示せるはずです。


子ども・大人との距離感

たまに「友達親子」という言葉を耳にします。

難しいお年頃のお子さんとも、友達のように仲良し。

一見、魅力的な状態です。

しかし思春期における「友達」とは、本来「親から心理的な自立を図ろうとする子どもたちが、自己を確立する過程で互いを支え合う存在」です。

その役割を、「愛情をかけ、自立を促し、その後は見守り、距離を離していく親」が担うということは、些か本末転倒であるようにも感じます。

ときとして親は、「親だからこそできる役割」を果たさなければなりません。

「代わりにやってくれる第三者」なんて、この世には存在しません。

しかし距離を取り見守る時期になっても、「大人の存在」は重要です。

なぜなら中学生あたりは「一時的に社会的善悪の感覚が低下する時期」でもあるから。

見た目には幼さがなくなったとしても、そこはまだ子ども。

経験値は絶対的に低いため、社会的な価値観はまだまだ未熟です。

未熟な状態からさらに低下するって、結構大変。

その状態で「子ども同士」のみの関係を推し過ぎると、時にとんでもないことをやらかすことだってあります。

よく言う「厨二病」ってやつです。

リトルエンペラー状態のお子さんは、特に「自分を律することが不十分」であるため他者からの影響を受けやすいです。

しかも「そもそもルールやマナーに基づいた行動が苦手」。

もっと言ってしまえば「もともとの社会的価値観は未熟以前に幼稚」です。

そのような状態で不良型の厨二病やその予備軍と関りを持ち、仲間関係を形成してしまっては、目も当てられないことになりかねません。

一緒になって問題行動を繰り返し、それを止めようと近づいてきた大人が止めきれず、主導権を取られてしまい逆に振り回され学級崩壊に・・・なんてことはありがちなパターン。

「自分に振り回されてくれる大人」が現れたら、リトルエンペラー症候群は水を得た魚になります。

他人には分かりようがありませんが、そのひとは「ずっと求めていたコンフォートゾーン」です。

絶対に逃したくありません。

そのために日常的にそのひとの気を引こうと、そのひとの周囲で問題行動を繰り返すようになります。

そんな社会生活に没頭して、気が付いたら「少年院が居場所」になっちゃた、なんてこともあったりして。

・・・・・・・・・・

・・・冗談はさておき。

こんな風にならないための予防策として、早いうちから「程よく大人が介入してくれる、子ども集団」との関りを持つことも良いかと思います。

 

小集団的習い事のすすめ

年相応に自分を律することが難しいうちは、オンラインによる習い事をおすすめします。

いきなり実際の現場に行くのではなく「レッスンは自宅で行うという形」で、少し距離を取りながら小さな集団を対象に開始した方が良いでしょう。

なぜなら「ルールやマナーに基づいた行動が苦手」「自律不良」の状態のお子さんは、子どもの集団に入っただけで極度に緊張し強い不安を抱くからです。

それを抑えるためのコンフォートゾーンを得ようとして「律してくれそうな大人」にターゲットを絞り問題行動を起こして、自分を咎めさせようとします。

しかしたとえ応じてもらえたとしても、満足はせず、問題行動はどんどんエスカレートしていきます。

前記事リトルエンペラー症候群「自分でやりたくない子」★特徴・対策と習い事の勧め でも書きましたが、「応じてもらったところで、根本的な問題は何も解決しない」のです。

「ルールやマナーに基づいた行動が苦手」「自律不良」な状態はそのままなので、一時的に和らいだ緊張や不安はすぐに再燃します。

それを再び抑えようと「咎めてもらえる行動」を繰り返す。

そんなこんなでしつこくレッスンを妨害した挙句、講師陣から「もう辞めてくれ」と言われた事例を何件か見てきました。

ということでオンライン指導で集団とは距離を保ちつつ、そこに参加する練習をしましょう。

そのあとに集団現場に入っていくことを検討し始めても、遅くはありません。

下記は無料体験を設けているグループワーク系のオンライン教室です。

お子さんの興味に合ったものがあれば、一度気軽な気持ちで申し込んでみてはいかがでしょうか。

英会話

オンラインでマンツーマンとグループコースを組み合わせられる【Global Step Academy】

プログラミング

オンラインによる小中学生向けゲームプログラミング【アンズテック】  

続く(気が向いたら)。

↓↓↓は家庭で楽しみながらできるリトルエンペラー症候群脱出作戦★です。

宜しかったら読んでみてください。