もっしーなろぐ

軽度知的障がいとASDを持つ二人の子どもの日常と障がい支援分野で働くNs母のつぶやき。最近は子宮内膜異形増殖症闘病記録もしています★

リトルエンペラー症候群「自分でやりたくない子」10の特徴と未然に防ぐべき理由

こんにちは。

皆さんは「リトルエンペラー症候群」という言葉は聞いたことがありますか?

日本では浸透していないので、あまり聞き馴れた言葉ではないと思います。

しかしこの概念は、現代日本の子ども達の多くが抱える問題を的確に指摘しているのです。

どのような特徴があるのかというと

・自分でできるはずのものでも、身の周りのことは大人にやってもらいたい

・一人の自由時間に何をして過ごせばいいか分からない

・思い通りにならないと他人の前でも大声で泣いたり怒ったり、反対に黙り込んで動かず大人を困惑させる

・相手が嫌な気持ちになるような関わり方を悪気なくしてみんなに嫌われてしまう

・自分の失敗をも人のせいにする

・学校に対して、親を通じて自分の要望やクレームを言わせる

等々。

最近ではよくあるものです。

これらの特徴が小学校入学以降にも見られるお子さんは、結構います。

何故この概念が日本では浸透していないのでしょう??

本当に不思議です。

折角の機会なので、このリトルエンペラー症候群についてお話しさせていただきます。

が、ちょっと長くなるので複数回に分けようと思います。

(これは1回目の記事です)

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説明前に注意点を!!

これは後天的原因に基づく心理・行動様式の概念です。

対人関係における問題は後天的要因、つまり経験や環境から得た結果であるという可能性が高いです。

1)脳のタイプ(認知特性や感覚特性)が定型発達の人とは異なるタイプである
➡先天的要因が関係している
➡環境(他者を含む)と相互性をもちにくい
2)複雑性 PTSD と ASD の症状が類似している
➡ASD とトラウマとでは症状形成メカニズムが類似している
➡客観的には適切な環境でのトラウマ体験(主観的トラウマ体験)
➡トラウマ自体が症状に影響している
3)同じ診断名でも個人間差と個人内差(年齢による変化),つまり症状の表れ方が多様である
➡後天的要因による影響を示唆する
4)社会性(特に対人面)の発達には安定した愛着形成が必要である
➡ASDの社会性の症状にも愛着が関係している
➡そもそも社会性の発達は後天的要因が大きい
5)人間は環境に適応する(自己の欲求や安全・安心を得るための行動をとる)
➡問題行動や特性と捉えられている行動は環境への適応の結果と考えることもできる
6)環境との不適合状態が生じている
➡先天的要因により環境との不適合状態(ギャップ)が生じる(発達環境ギャップ

https://confit.atlas.jp/guide/event-img/edupsych2019/PH12/public/pdf?type=in

⇧で言いますと、

  • ASD等の先天的障がいの特性は、「先天的」であるが故に「持って生まれてきたもの」。よって、他者からの影響は受けにくいものである
  • ASDは感覚や認知に先天的な特性を持っている。先天的なものなので時と場合、相手によって特性が出たり出なかったりするようなものではない
  • そう考えると、ASDによるものと思われる問題行動の中には「先天的特性」ではないものが存在するはず
  • また、経験から得た「トラウマによる問題行動・症状」とASDの「感覚・認知由来の問題行動」の一部には、形成メカニズムが似ているものがある
  • 同じASDでも問題行動は様々。みんながみんな、同様の問題行動を現わすわけではなく個人差がある(感覚・認知の障がいなので、流水感覚に執着したり大きい音が苦手な人が結構いる。我慢できる人もいればそうでない人もいる。執着があっても苦手はない人もいるし、その逆も然り)
  • なかでも社会性の問題に関しては状況や相手、年齢等による個人差・個人差が大きい
  • そもそも対人関係能力は、乳児期の愛着関係から形成されるもの
  • ASDは自他認知になんらかの障害をもっている。しかし親子愛着関係を形成できる子は非常に多い
  • つまり「先天的に対人関係形成不可能」というわけではない
  • 自他認知の障がいにより個人内差はあるが、ASDでも対人関係能力は発達する
  • そもそも対人関係能力の発達は後天的要因の関与が大きい
  • 障がい特性が原因と思われる対人問題のなかには、先天的理由ではなく「これまでの経験や環境による結果」であるものもある
  • 自他認知等明らかな先天的障がいがある場合でも、後天的要因も重なり不適応状態になっている可能性がある

 となります。

 

ちなみに「ASDは感覚・認知の障がい」ですが、「ADHDは行動の障がい」と言われています。

ADHD自体には自他認知に関する障がいはありません。

親子間の愛着関係を形成する能力を持っている子はASD以上に多いでしょう。

よって対人関係能力を形成するための器はしっかり持っていると考えられます。

また「この状況でコレをするのは良くない」ということは判断できるのですが

衝動性や行動をコントロールすることが困難である為、ついつい「今してはイケナイ行動」をしてしまいます。

そして本人は直後に気付き

「しまった」「どうしていつもやらかすようなことをしてしまうんだろう」とショックを受けがちです。

状況や相手によって問題行動を

「やる」「やらない」 と分けることはできません。

 

しかしそれとは別にADHDでも、経験学習によりリトルエンペラー状態が加わり

複雑な問題行動様式を呈することは十分にあり得ます。

 

以上より、対人関係に関する問題の原因は

「経験や環境」である可能性が高いです。

つまり障がいを持つお子さんも持たないお子さんも等しく生じる可能性があります。

障がいの程度は問いません。

しかし先天的な障がいを持っているお子さんにこのような症状が見られたとしても

慌てて改善しようと大人が急激に態度を変えることはしないでください。

特に知的重度のお子さんは何故これまでと状況が違うのか、なぜ突然求められることが増えたのか理解することは難しく混乱してしまいます。

理解力が低いため、ひとつひとつをお子さんのペースでゆっくり丁寧に教えていきましょう。

 

大切なのは、どのようなお子さんにも等しく生じる可能性があることを理解することです。

そしてさらに大切なのが、未然に防ぐ=「①できることは自分でする、②自分と同様に家族を尊重する、③家庭のルールを守る」ことを根気強く教えることなのです。

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リトルエンペラー症候群の原因①:「自分でやれること」を大人がしてくれる環境

親御さんが面倒見の良い家庭では珍しくないのかもしれません。

周りの大人が良かれと思って先回りしてやってあげる。

子どもが本来できるはずの、やるべきことを代わりにやってあげている状況。

私の経験上、その様な家庭にいるお子さんでよく見られてきた行動として以下のものがあげられます。

(以下は動作を妨げる身体的障がいのない学齢期以降のお子さんです)

上着を着る時に手を広げて着せてもらおうと待っている

上着のファスナーも閉めてもらおうと待っている

待ちに待ったおやつの時間にお菓子の封を開けてもらおうと大人に差し出す

靴を履かせてもらおうと足を差し出す

大人と一緒に出掛けたら、荷物は大人が持つ。たとえ自分の荷物でも面倒な分は持ちたくない

車に乗るときは車の横でドアを開けてもらおうと黙って立っている(鍵は開いている)。降りるときは、最後に降りた場合でも自分でドアを閉めようとしない

必要な荷物の準備や使ったものの後片付けは、大人にしてもらう

 

①~④は、私の周囲では知的障がいが中度~重度のお子さんによく見られました。

日常生活動作の習得はなかなか難しい部分もありますが

学校や療育施設でお子さんに合った指導方法で身につけることは可能です。

しかしその後も「大人がしてくれる」ことが当然という感覚が強い場合は、自分でやるように促されると周りが驚くような勢いで癇癪を起すことがあります。

⑤~⑦は、知的障がいがほとんど目立たない、またはないように見えるお子さんにもよく見られます。

⑤⑥は促されるとハッと気づいて自分でやる子も多いですが、⑦は指摘されても意地でもやろうとしない子も多いです。

えぇ、結構います。

⑦に限って言えば、学校で習字道具等を持っていくことを忘れた際に

「お母さんがちゃんと準備しなかったから」と自分はむしろ被害者的な主張することも珍しくありません。

同様に療育施設でお弁当持参の日に食後に自分で弁当箱を洗うように事前に促すと、(普段はおもちゃの片付けや自分の荷物の整理はなかなかやろうとしないのに)職員さんが気付く前に素早くお弁当箱を鞄に片付ける子や

ほんのひと齧り分だけ残して「家に持って帰って食べるから洗わない」と言い張る子もいます(腹壊すぜ!)。

施設のコップやお皿を使ったときは、みんななんだかんだで洗うんですけどね。

これはもう、なにがなんでも

「(自分でできるけど)自分の物の管理はおうちの人にやってもらいたい。おうちのひとにやらせるんだ」という強い目的意識の表れのように見えます。

どれもおうちでは、言葉にしなくても大人がいつの間にか自然にやってくれることなのでしょう。

また、このような行動を繰り返していたり大人がそれを受容する環境の中にいると、

「いま自分は何をすべきなのか」考えを巡らせ、「何ならできるか」を考えるアンテナ

自主性も伸びにくいです。

自主性が育たなければ「自分でやるよ!」という言葉や行動も当然出にくくなります。

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機会があれば年齢別の社会性の発達の項目でお話しようと思いますが、

小学校に入ると幼児期に培った「自分のことは自分でする」という能力を発揮しつつ集団生活についていかなければなりません。

障がいの程度が重いお子さんは支援学校や支援級で基本的な生活動作の自立を目指して根気強く繰り返し指導を受けるでしょう。

しかしそうでないお子さんもこのような環境で育ち「自分のことは大人にしてもらう」状態でいれば

当然ながらどのような集団形態にもついて行くことはできません。

これまでとは違って、「いつの間にか大人がやってくれていたこと」を自分でしなければならなくなった現実に戸惑いを感じます。

そして一時的に不安定になってしまうこともあるでしょう。

親御さんもそんなお子さんの姿に、これまで一生懸命面倒をみてきた分だけ切なくなってしまうかもしれません。

しかしここは耐えましょう。

「自分でできることは自分ですること」が当たり前でなければ、「本当に必要」で「適切な支援」を将来受けられなくなってしまいます。

支援をする側は経験があればあるほど、「相手の本当の能力」を見極めることが出るます。

「できるけどひとにやってもらう」が当たり前のような状態だったら、当然周囲から良い印象は持たれません。

ほとんどのお子さんが、将来は親亡きあとも生きていくのです。

お子さんへの対応で納得いかないことがあれば「支援者や先生に意見を言えばいい」という環境も、いつかはなくなります。

年老いて体力や認知・判断力がなくなれば、支援者に対して強気な態度も勢いをなくさざるを得ません。

お子さんが幼い時に「ずっと守ってあげる」と心から誓っていたとしても、面倒をみることも守ってあげることもできなくなる日が必ず来ます。

ちょっと冷たいことを言えば、そんな誓いもお子さんが中学生くらいになって見た目が子どもじゃなくなれば、大抵の親は大きく気持ちが揺らぎます。

そして周囲に支援を求めたところで相手にしてもらえなくなります。

幼児期・学童期までの教育・福祉サービスの現場はなんだかんだで働き手がいます。

しかしそれ以降の現場はどこもとんでもないくらい人手不足です。

福祉施設なんて求人出しても応募はなかなか来ないし、来てもすぐに辞めてしまいます。

人材の育成どころか定着すらままならないところがほとんどです。

「できることをやらない人」の対応をするための時間や人員の余裕なんて、喚かれようが騒がれようが、何処にもありません。

だからこそ障がいがあろうが重かろうが、いつまでも乳幼児のような扱いはしません。

そもそも障がい福祉だろうが高齢者福祉だろうが、働く側は

「実年齢と乖離した対応は人権侵害。やっちゃダメでしょ!!」

と言われていますし。

 

特に思春期前と後で、支援者側の対応は

お子さん・親御さん共にだいぶ変わるでしょう。

そのときにお子さんが困らないように、また親御さんがショックを受けないようにするためにも、早いうちから忍耐をもって根気強く「自分でできることは自分ですること」を教えてあげましょう。

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ところで、普通級にいるお子さんにはこのような支援は、そもそもありません。

すでにそこは「自分のことは自分ですることは当然」の世界だからです。

リトルエンペラー状態のお子さんは、「いま何をすべきか」は分かりながらも「自分はどのようにすべきか」に沿って行動できない場面が多くなります。

また「大人にやってもらいたい心細さ」や「先生に自分の面倒をみてほしい願望」も生じやすく、ジレンマ不安に陥りがちです。

同級生たちと自分の「実際にきちんとできること」の差を感じ、少しずつ自己肯定感が低下し、同年齢での集団生活に自信を失っていきます

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また、「自分でやろう」という気持ちの少なさから「努力する心」が育ちにくいです。

そのため興味や憧れを持っても、それを実現したり獲得するために「自分が努力しなければならない」「地味にコツコツする」という必要性に気づくと(たとえ実現可能な能力が明らかにある場合でも)、すぐに関心が薄れてしまいます。

興味・関心を持って取り組めるものが少ないがために、自由時間になると何をすればいいか分からない状況になりがちです。

そういう時は身近な大人(主にお母さん)のあとをつけ回しては、「暇~」「つまらない」と不満そうに訴える姿がよく見られます。

「じゃあ、何かしたいことはある?」と聞かれてもこれまで「大人に準備してもらう・やってもらう」ことが多かったため、自分で考えることは難しいようです。

コレと言って答えることは、なかなかできません。

大体の場合は満足いくような対応はされずに、欲求不満が募っていきます。

年齢が上がれば上がる程、理想や望みも強くなり具体化していきます。

その全てに対して大人が応えることは難しいですし、「自分でしなよ」と突き放されることもあるでしょう

(大人は突き放したつもりはないかもしれませんが)。

現実の中で思い通りにならないことがどんどん増えていき、欲求不満は更に増大していきます。

その結果、一時的にでも刺激や達成感を簡単に得られるゲームやインターネットの世界にのめり込んでいくようになってしまいます。

特にネットゲームや動画、SNSは、無料で次から次へと新しい刺激を得ることができます。

急激な高揚感を得られます。

プレイ中は一時的に欲求不満を解消することができます。

現実の世界では得づらい自己有能感を感じることもできます。

あっという間に依存するようになるので、年齢問わず要注意です。

しかしどんなにのめりこんだって人間は慣れてしまう生き物です。

あれほど最初はドキドキワクワクして夢中になったゲームも、段々「やっぱり暇」「まえみたいに面白くない」とプレイしながら感じるようになってきます。

そしてゲームをしながら「暇なんだけど」とアピールするようになるのです。

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あと、欲求不満に陥ったお子さんは、よくそばにいるひとに八つ当たりやマウントととられる行為をします。

そばに来たと思ったら突然屁理屈をこねて困らせたり、わざと不快な挑発行為をしだしたり。

その相手は決まって、自分から見て「八つ当たりもマウントも受け入れてくれそうなひと」です。

特に「自分の言うことをきいてくれそう」とみなされていたり、「反撃してこない=八つ当たりしても自分は安全なまま」と期待されている人です。

そう思われていても八つ当たりされた側は、当然理不尽な主張や行動に動揺します。

そして頻回であるほど疲弊するのです。

 

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大人がやってくれる環境で育ったリトルエンペラーの特徴

以上をまとめると、このような環境で育ったお子さんには以下の特徴が見られるようになります。

①自発性や意欲の欠如

②過度に受動的

③地味な努力が苦手

④ひとに面倒をみてもらいたい、どうにかしてもらいたい

⑤ひとにやってもらって解決してきたことによる自己有能感の高さと他者への見下し

⑥何かをしたくてもやりたいことがなかなか見つからない

⑦察してもらえないことへの強い不満

⑧安易に得られる刺激への依存

⑨無力感からくるイライラと八つ当たり

⑩自己肯定感の低さを消すためのマウント行為

 

これらの行動は「いっぱいやれば満足して、そのうちやらなくなる」というものではありません。

なぜならいっぱいやったところで問題は何も解決しないからです。

特に「見下し」「八つ当たり」「マウント」は一時的な高揚感を生じさせるもの。

彼らは安易に刺激を求める傾向がある故に、再度高揚感を得ようと繰り返します。

結局「満足してやらなくなる」どころか、慢性化していくのです。

だから神経をすり減らしてまで頑張って応じてあげる必要は、これっぽっちもありません。

 

ゆくゆくは、当然その言動・行動は社会から否定され受容されなくなるでしょう。

それでも義務教育時代は、学校は理解を示そう・受け入れようと、努力はしてくれます。

しかしそれはあくまでも先生方の「お仕事の一環」だからです。

やらなければならない仕事は山ほどあります。

そして生徒は他にも大勢います。

その子たちを後回しにして、リトルエンペラーへの対応に多く時間を割くわけにはいきません。

なので問題解決へ向けた対応を望んでも無駄なのです。

ましてや義務教育終了後は・・・

未成年であっても子どもではないんだから、構うことはしません。

子ども時代に声をかけてくれた人たちにとっても「過去の人」。

数年後には「あ~・・・、そういやいたね。そんな子」と言われるのがオチです。

あとの人生は自己責任。

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  まとめ

上記のような特徴を持った状態で大人になれば、社会生活どころか家庭生活も円滑に送ることは難しくなります。

いえ、大人になる前に、思春期頃からすでに何らかの不適応や困難が現れるでしょう。

そうなってからでは遅いです。

そうなる前に、それを防ぐためにも「自分でできることは自分でやる」「自分のことは自分でする」意識を持ち、行動できるように幼少期から少しずつ教えていきましょう。

 

続く↓↓↓

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自己肯定感に関する記事はこちら↓↓↓